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PS礼拝「大切なものは目に見えない」

大切なものは目に見えない<山田 徹 (数学科教諭)>

数学科 山田 徹 私たちは見えるものではなく、
見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、
見えないものは永遠に存続するからです。 − コリントの信徒への手紙 二 4章18節 −

先日「博士が愛した数式」という映画を観ました。皆さんの中にも観た人もいることでしょう。日本数学会出版賞も受賞した小川洋子氏の同名小説に、原作に基づきながらも多くの脚色が加えられ、より印象的映像化された作品に仕上がっています。

主人公は、交通事故で脳に後遺症をもち、80分前の出来事までしか覚えられなくなってしまった数学者。かつては大学での研究職についていましたが、今では数学雑誌の懸賞問題への寄稿を趣味として余生を送っています。その彼のもとに、身の回りの世話をする家政婦として派遣された未婚の母の「私」。やがてその息子の「ルート」も加わった奇妙な関係の3人に数学と野球を通じた心のふれあいがはじまります。映像そのものの透明感、映画の随所に現れる美しい言葉、フレーズ。久々にいい映画を観たなと思いました。

印象深いシーンは数多くありましたが、私がその中でも特に心に残ったシーンは、ルートが怪我をして運ばれた病院の待合室で博士が「私」に数学上の概念である「直線」について語る場面です。

博士は言います。紙に書いた直線は本当の意味での直線ではないと。では真実の直線はどこにあるのか? それは心の中にしかない。物質的にも感情的にも左右されない永遠の真実は目には見えないのだ。肝心なことは心で見ること。そして目に見えない世界が目に見える世界を支えているのだと。

私はこの博士の言葉を聞いたとき、金子みすずという童謡詩人の作った「星とたんぽぽ」という童謡の一節を思い出しました。

青いお空のそこふかく
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる
昼のお星は目に見えぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ

「見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」と昼間の星について断言しカワラのすき間のたんぽぽの根について語るこの童謡は見えるものばかりに心を奪われている私たち一人一人に大切なことを忘れていることに気づかせてくれます。

「神は愛なり」と聖書に書かれていますが、神も愛もそれなしには生きていくことのできないほど大切なものなのに、私たちの目には見えません。サン・テグ・ジュペリの「星の王子さま」という本のなかで、王子と仲良しになったキツネが言っています。

「大切なものは目に見えない。肝心なことは、心の目で見ないと見えないんだよ」

このことは何も現代を生きる私たちだけに言われていることではありません。イエス様が生きた時代の人々も同じであったようです。

聖書の中には次のようなイエス様の言葉を見出すことができます。

「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない。」

「どうして今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう」

「見ないで信じる人こと幸いなのに・・・」

イエス様のこのような叫びを私たちはどのように受け止めるべきでしょうか。これらのイエス様の悲しみの言葉にリアリティがあるのは、彼の前に現れる人間たちが目に見えぬ「愛」ではなく目に見える「しるし」や「奇跡」を、現実に効力のあるものだけを願ったという事実があるからでしょう。人間の本質は今も昔もほとんど変わらないのです。そのような中にあって私たちに忘れかけていた大切なものを思い出させてくれる金子みすずの詩「見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」は、時たま口ずさみ考えたい童謡詩です。