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PS礼拝「人とともに生きる」
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人とともに生きる
「… しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。
あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
一番上になりたい者は、皆の僕になりなさい。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、
また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために
来たのと同じように。」 − マタイによる福音書 20章25節~28節 −
おはようございます。地理歴史科の小林です。新年度が始まって1ヶ月近くになりますが、一年生は新しい生活になれてきたでしょうか。二年生は新しいクラスになじんできたところでしょうか。三年生は自分の進路を模索しつつ、一つ一つの行事を高校生活最後の行事として大切に受けとめている日々かと思います。
私がクリスチャンになったのは高校三年生になる直前のイースターでした。両親ともクリスチャンで、幼いころから日曜日に教会学校に通っていたことから、自然にクリスチャンになったというのが正直なところです。幼いころから通い、今も通っているのは日本基督教団の国立教会という教会です。大学時代には、これも自然な流れとして、教会に来ている大学生たちが集まっている教会の青年会に所属していました。青年会の仲間に村山斉くんがいました。ICU高校を出て東大の物理学科に進み、東大で大学院まで進んだあと、東北大学の助手になり、さらにアメリカに渡ってアメリカの大学で教授になったという優秀な人です。4月7日の朝日新聞の夕刊の一面に村山君のことが出ていました。長くなってしまって申し訳ありませんが、一部省略しながら読ませていただきます。(以下、2009年4月7日朝日新聞夕刊一面より引用)
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3月の土曜日、昼下がり。東京都西東京市にある科学館の一室で、村山斉は、市民や学生に語りかけた。
「あるのかないのかよくわからなかったオバケみたいな素粒子ニュートリノは、太陽で生まれ、1秒間に1兆個くらい私たちの体を通り抜けています。その風を感じた方、いますか?」
参加者を見渡し、笑顔で村山は言う。「おかしいなあ、アメリカでこの質問をすると、手を挙げる人が必ずいるんですが」。会場は爆笑に包まれた。
村山は、一般向けに易しく説明する素粒子の語り部として、欧米、豪州でも大人気だ。(中略)
村山には、語り部のほかの顔がある。「数物連携宇宙研究機構(IPMU)」の機構長。世界の第一線研究者が集まってくる研究拠点を設けたいという文部科学省の方針のもと、東大が威信をかけてつくったプロジェクトの最高責任者である。(中略)
東大の物理学科に進み、「もっとも根本的なことを知ろう」と素粒子論研究室に入る。
村山は、実験をふまえた理論を勉強したかった。だが、研究室では、難しい数学を使った理論がはやっていた。先輩を一人一人捕まえては、質問した。「面白いですか?」
相手にしてもらえない「空回り」が続いて4年目。高エネルギー物理学研究所(当時)の理論家、萩原薫に救われた。茨城県つくば市にある研究所に仲間6人と泊まり込み、実験をふまえた理論をたたきこまれた。萩原はいう。「村山君は仲間を大事にしていた。だから今があるのかな」
宇宙理論と素粒子物理に強い東北大に認められ、村山は頭角を現した。数々のノーベル賞受賞者を出しているカリフォルニア大バークリー校の物理学教室に赴任。36歳で教授となった。
07年4月中旬、2人の東大教授がバークリーに、村山を訪れた。宇宙線研究所の所長だった鈴木洋一郎と、物理学教室の相原博昭である。2人はいきなり切り出した。「研究所の所長候補として、申請書を書いてほしい」
2人は、文科省が募集していた「世界トップレベル研究拠点プログラム」への参加を画策していたが、研究所のトップの人選に行き詰った。たまたま帰国していたカリフォルニア工科大教授の大栗博司に相談すると、こう助言されたのだ。「村山しかいない。物理と数学、それに宇宙もわかり、リーダーシップと人脈がある」
外国にいる40そこそこの男が書いても無理だろう、と思いながら村山は「数学・物理学連携による世界に類を見ない学際研究拠点」の申請書を書いた。締め切りの4日前に提出され、合格。08年、村山はバークリーから帰国、IPMUが発足した。大栗も参加している。
宇宙はどうして始まったの?
宇宙は何でできているの?
宇宙はこれからどうなるの?
村山たちが、IPMUで素粒子物理と数学を駆使して解こうとしているのは、小学生でも持ちそうな素朴な疑問である。「それは究極の疑問。世界から超一流の研究者を集めれば、解ける」と村山。今いる46人の研究員の半数以上が外国人。村山は世界の仲間に、きょうも「いっしょに仕事しないか」と声をかけている。
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この記事を読んでうれしかったとともに、とてもうらやましく思いました。アメリカの大学の教授や数物連携宇宙研究機構の機構長という地位ももちろんうらやましいが、もっとうらやましいのは、彼が宇宙の始まりという根源的な問題を素粒子物理と数学を駆使して、世界の超一流の研究者たちを集めて研究するというとても創造的な仕事をしているということ。現代の科学の最先端で、これまでわからなかった真理を探し求めるという実に刺激的な仕事を世界のトップレベルの頭脳と協力してやれるということ。ああ、こんな人生もあるのだな。これほどスケールが大きくて、ダイナミックでスリリングな人生を送れる人はごく一部でしょうが、うらやましく、また、ここまで到達するには才能とともにものすごい努力があったことと思います。
村山君は大学時代、東大のオーケストラでコントラバスを弾いていました。オーケストラに入っていたら練習もきびしく、相当忙しかったにちがいありません。彼はとても頭がよいのと集中力があるので短い時間に多くのことができる人でした。一番大事な本質部分をしっかりとらえている感じでした。電車に乗っている時間も有効に使って勉強し、よく努力していたと思います。さらに彼のすばらしいところは、今の新聞記事にもありましたが、大事な問題に正面から向き合って人と議論すること。仲間を大切にすること。教会の青年会で一緒に合宿しているときも、人の話によく耳を傾け、人のことを親身になって考え、人との交流を楽しんでいました。その姿勢が結局は彼を豊かにしたのだと思います。自ら進んで人と交わり、自分から人に与えることにより、かえって彼は人から学び、成長できたのではないか。
私自身はいつも自分のことでいっぱいいっぱいだし、人に与えていく姿勢が足りない人間なので偉そうなことはいえません。自戒の思いをこめて言うと、人は人に与えることでかえって与えられ、成長できるのではないかという気がします。先週の礼拝で市橋先生が紹介してくださったガンディーの言葉は心に残りました。
The best way to find yourself is to lose yourself in the service for others. 自分が何者なのかを発見する最良の方法は、他者のために生きること。イエス=キリストはご自分の命を私たちが生きるためにささげてくださいました。わたしたちを救うため、わたしたちを心底愛してくださいました。わたしたちは、自分が何者なのか、どう生きていったらよいのか迷ってばかりですが、イエス=キリストの生涯とその言葉によく目をむけ、他者のために生きようとするとき、しだいに答えが見出せるのではないかと思います。
村山君が東北大学に就職するため、国立教会での最後の礼拝出席の日、お別れのあいさつでこんな趣旨のことを言っていました。「日曜日に礼拝に出て、永遠なる方とつながっていることができて幸せでした。」 日々の礼拝は慣れてきてしまうと新鮮味も感じられなくなりがちですが、はかない存在であるわたしたちが、永遠の愛の神とつながることができるということは、本当はきっとすごくダイナミックでスリリングなことにちがいありません。





