2016年5月29日、表参道一帯を焼け野原とした「山の手空襲」を語り継ぐ集いが、表参道にある穏田区民会館で開かれました。
これは、今は賑やかな表参道が第二次世界大戦の空襲で焼け野原になっていた…という悲劇を忘れずに、戦争を二度と起こさないよう、若い世代が語り継いでゆくための会です。
(※写真左:語り継ぐ会代表世話役の佐藤氏による話 写真右:戦災の写真とトーク)
その中で体験記の朗読、体験者との交流に生徒会活動に携わる2年女子2名が参加しました。
【参加した生徒の感想 】 ※一部抜粋
■「山の手空襲を知り」
私はこの会に参加し、悲惨な体験を聞きましたが、衝撃を受けたのはそれだけではありませんでした。
私を含め、不思慮で心無い人々にそれを語り継ぐことへの体験者の方々の心痛や虚しさは計り知れなく、私たちの無知や無頓着さが彼らをその後も苦しめてきたと知ったのです。時の流れは様々なものを変化させます。
死体が積みあがった焼野原が、美しい今の青山に復興したように。また戦争を知らない私たちがそこを闊歩し、戦争はどんどん風化していきます。しかし街並みが元に戻ろうと、戦争体験者がいなくなっても、戦争を決して忘れてはいけないのです。
私は戦争を知りません。けれど今日、戦争の悲劇が目に焼き付いた人の目を私は確かに見ました。
必死に伝えて下さった命の叫びを忘れません。
それを決して途絶えさせません。
命のメッセージをありがとうございました。
■今回、朗読をさせていただくにあたり、私は文章から様々なことを想像しました。
肌を焼く炎の熱さ、真っ赤に染まった空、たくさんの遺体を目の当たりにした時の心境、家族・友人を失った悲しみ。
ですがどんなに想像をしてもそれは想像にすぎません。
平和な世に生まれ、暮らしている私たちには、実際に戦火の中を潜り抜けてきた人々の気持ちも体験も、そのほんの一部も理解することはできないでしょう。
では、どうして体験者の方々は辛くて思い出したくない筈の体験をお語りになるのか。
その問いに対して一人の体験者の方がおっしゃった事がとても印象に残っています。
「私たちは今の人々に『理解』してもらおうとは思っていません。ただ『知る』ことをしてほしいのです。人々が知り、後世に語り継ぐことが平和に繋がると思っています。」
私は幸いにも今回の貴重な経験を経て戦争を『知る』事ができました。
ですが周囲にはまだ『知らない』人々が沢山います。
このような人々に今回の体験を話すことが、私にできる最大限の“小さな一歩”だと信じています。」