2024年度フィリピン訪問プログラムに参加した生徒のレポート
フィリピン訪問を通じた価値観の変容
〇はじめに
私がこのプログラムに参加したのは、人との交流に興味があり、現地の人々と触れ合うことで自分の視野を広げたいと思ったからだ。しかし、その中で、「貧困」に対して積極的に関わってきたことのなかった私にとって、今回の経験は衝撃的なことばかりであった。貧困地域で起こっている現実が自分とはかけ離れた世界の話のように感じていたが、今回の経験を通して突然身近にあるように捉えられたと同時に、これまで自分がいかにその現実から距離を置いていたかに気付かされた。
〇支援チャイルドの様子
このプログラムで特に印象的だったのは、支援チャイルドの様子である。私たちは2つの現地の学校を訪問したが、いずれの学校も笑顔と活気に溢れた雰囲気だった。3日目に訪問した高校のチャイルドたちは笑顔を絶やさず、心から楽しそうにしていた。そして、私は彼らの好奇心や積極性に驚いた。例えば、日本の文化を紹介するために、日本のお菓子をあげると興味を示してすぐに食べてくれた。また、チャイルドと折り紙で遊んでいるときに袋ごと出していると、気に入ったのか全部取られてしまったことがあった。私がもし彼らだったら、支援してくれている人々が会いに来るのは嬉しいし、歓迎したいと思うかもしれないが、知らない地から外国人が来るとなると多少の戸惑いはあるはずだと思う。しかし、フィリピンの子どもたちは異文化を受け入れる能力が優れていて感心した。
彼らと英語でコミュニケーションをとっていたため、簡単な自己紹介しかできず、会話を広げられずにいたが、折り紙をしていた時に後から隣に座ってきたRという女の子にもそのやり方を教えると、その後のプログラムでも私の隣にずっとつき、最後まで親しみを示してくれた。私にとっては折り紙の折り方を教えることがたった一時の行為ではあったが、彼女にとっては自分を気にかけてくれたという嬉しさがあったのかもしれないと感じた。同時に、会話など言葉だけではないコミュニケーションにある重要性を彼女のおかげで改めて認識し、会話しなければという焦りがなくなった気がした。
さらに、写真を撮ることの他に、折った折り紙やTシャツにサインを書くことや絵の具を指につけてハートを作ることなどを求められた。フィリピンの子どもたちは皆それぞれサインを作っているそうだ。私よりも年下の子たちが多かったが、サインをお願いすると、手馴れた様子で書いてくれた。様々な形で思い出を残そうとしていて、本当に私たちとの出会いを大切にしてくれたのだと感じ嬉しくなった。また、普段からもこうして思い出をつくっているのだろうと思った。
また、ソーラン節を披露する機会があった。踊っている間、チャイルドたちが楽しそうにビデオを撮ってくれているのが印象的だった。私たちが1回踊ったあと、皆で一緒に踊るためにPという女の子に法被を着せると、凄くキラキラした目でこちらを見てくれた。また、それをあげると、私が想像していた以上に感謝してくれ、喜びの表情を見せた。日本の文化に興味を示し、心の底から嬉しく思っていることが伝わって私も嬉しかった。
学校を離れる前、彼女は1枚の硬貨を私に手渡し、「次会った時に返してね」と言った。これはフィリピン特有の、farewell coinという別れの時にコインを渡すおまじないのような文化であると知った。フィリピン人にとっては親しみのある文化かもしれないが、初めて現地の文化に直接触れた私にとっては馴染みがなく、貰った時は少し抵抗があった。そして、チャイルドにとって私はスポンサーとしての1人にすぎず、「次」のことなど考えていなかっただけに、彼女の言葉は衝撃的だった。しかし、彼女が再開できることを心から望んでいること、そしてその真っ直ぐな気持ちに胸を打たれた。こんなにも素敵な出会いがあると思わず、別れは本当に寂しかった。帰りのバスの中でRやP、出会ったチャイルド皆のことを頭に浮かべながら、これをおまじないで終わらせるのではなく、本当にもう1度会いたいと強く感じた。私自身にとって彼女との出会いに意味を持たせてくれた出来事だった。
地域訪問ではAという女の子の住む家庭を訪れた。そこでは4世帯が一緒に住んでいる家庭であった。4人の子どもたちの表彰状が飾られているのを見て、皆優秀な成績で卒業したのだと知った。Aはあまり積極的に話しかけてくる子ではなかったが、コミュニケーションを重ねていくうちに自分でオンラインで学んだという日本語で「こんにちは」と話してくれた。そこで私も覚えていたタガログ語で質問をした。内容自体は簡単な内容だけだったが、自分の母国語を使ってくれるのは意外と嬉しく、日本を受け入れてくれている感覚があった。そして、彼女も同じ気持ちでいて欲しいと思った。最初はあまり踏み込んだ質問ができなかったが、通訳の方が生活の中で負担に感じるときはどうしているのかと聞いてくださった。すると、苦労はしているがポジティブに考えていて、大変だとは言っていられないと教えてくれた。また、Aの夢は弁護士だそうで、自分や周りの人が苦しんでいることから脱却したいと話していた。私よりも幼かったのに、本当に考えが大人びていて尊敬した。彼女の知り合いも皆夢を持っていて、それを応援していると話していた。フィリピンの人々は、少なくともAの家庭では、将来を見通して日々を生きているのだろうと思った。生活に余裕がない瞬間もあるのかもしれないが、だからこそ先を見据えて考えることで、子どもたちは勉強に熱心に取り組んだり、皆夢があって、それに向かって真っ直ぐ生きていたりするのだと感じた。
〇無償の愛
彼らの優しさに触れた瞬間も多くあった。学校では、夜暗い中停電してしまい、周りも目を凝らさないと見えないような状況でご飯を食べた。そこで、チャイルドたちがスマホのライトを使っていることが心に残っている。しかも、私がライトを使うのに手こずっていると、隣に座っていたRがすかさず私の方を照らしたり、皆が見えやすい方向にライトを置いたりしてくれた。そこで、自然と自分にだけライトを照らそうとしていたことを恥ずかしく思った。また、近くに座っていた男の子が、食べている間ずっと話しかけてくれた。名前を聞く機会がなく、知ることができなかったが、「Do you know~?」と言ってフィリピンの食べ物や言葉など様々なことを教えてくれた。彼の中では、名前を知っている人、知らない人という線引きがなかったのかもしれない。また、私がエビの剥き方に困っていると、その男の子とRが進んで教えてくれて、手が空くように私の荷物まで持っていてくれた。嬉しい気持ちが本当に大きかったが、なぜこんなにも私のことを気にかけてくれているのだろうとふと感じた。本来私はチャイルドたちをサポートする立場であるが、終始彼らに受け入れられている感覚だった。また、その男の子が言った言葉で、考えさせられることがあった。少し離れたところに座っていた子が、隣のチャイルドが席を立ってちょうど1人になる瞬間があった。その時、突然彼が「Is she happy?」「She is lonely」と言った。私にとっては何気ない光景で、心配する必要はないと思っていたが、純粋に寂しそうだと感じ、素直に自分の気持ちを言葉にする彼の姿を見て、何を言えば良いのか分からなくなってしまった。そこで、自分が普段の生活から何かと理由をつけ、自分自身を安心させていることに気づいた。実際、1人でいる人を見かけても、自分自身の居場所が既にあると、どこか切り離して考えてしまうことが少なからずあるのではないかと思う。そして、私自身振り返ると、常に1人でいる子のことを気にかけ、当たり前のように受け入れることは、自分に精一杯で出来なかったこともある。しかし思い返してみると、フィリピンでは、少なくとも私の周りでは寂しそうにしているチャイルドなど1人もいなかった。これは、フィリピンのチャイルドたちがどれほどお互いに「無償の愛」を持っているかを示していると思う。
支援チャイルドは、地域住民の話し合いによって一定の基準を満たす家庭から選ばれることが決まっている。その基準は、出生証明書があることや学校に通っていること、そして成績が良いことと定められている。支援チャイルドの他にも支援を受けていない子どもたちもフィリピンにはいることが現実である。その中でも、地域訪問をした家庭で、支援を受けているチャイルドも、受けていない子どもたちも良好な関係で接していて、支援チャイルドが良い影響を周りに与えることができていると聞いた。そこで、フィリピンではコミュニティの繋がりが強く、皆愛情を持って人と接しているのだと感じた。また、フィリピンではバリューフォーメーションという教育方法が導入されており、言葉遣いを丁寧にすることを教わることで自然と人の気持ちを考え協力する力が身についたり、人に敬意を払うことができたりすることが考えられる。教育によって身についた他人を敬う姿勢を周りの人が学び、それが良いコミュニティの形成に繋がっているのだと感じた。そして、愛を感じると自分も愛を人に与えられるようになるのだと感じる。今回、日々の生活で見過ごしがちであった「無償の愛」とその本質的な意味を彼らのおかげで改めて知ることができた。
〇「幸せ」について
チャイルドたちとキャンプファイヤーで手を繋ぎ、1つの円を作った時、ふと「フィリピンに来てよかった」と感じた。フィリピンの民謡を歌いながら歩いていたのだが、歌は分からなくても自然と心が温かくなった。その時は考えていることを全て忘れて幸せな気分になった。国籍も年齢も関係ない1つの円が、私たちの心まで固く繋いでくれているように感じ、この時間がいつまでも続けば良いのにと思った。キャンプファイヤーの途中で日が沈み始め、そこからは時間がすぎるのが本当に早かった。それほど、もっと長くいることを望んでいたのだろうと思う。
渡航前の事前学習から、「幸せ」の定義を考える機会が何度かあった。その時はチャイルドたちがどうすれば「幸せ」になれるかということを考えていた。しかし、実際自分がその生活に触れてみると、心から「幸せ」と感じることが多かった。私の方が今まで「幸せ」の形を忘れていたのかもしれない。
改めて、「幸せ」とは何なのだろうか。私がフィリピンでの生活を目の当たりにする前、毎日健康に過ごせること、お金があって好きなことに費やせること、などと考えていた。これらは、私たちの生活に当たり前に衣食住や勉強する環境が保障されていることから、根本的な「生活」に困ることがないため、更に質の高い段階に目が行くのだろうと思う。一方で、フィリピンのチャイルドたちはあらゆる出来事に興味を示し、同時に楽しさを見出していることをその無垢な笑顔が物語っていた。私は、「幸せ」には外的環境に影響されて形成される「幸せ」と人間が本能的に感じる「幸せ」があると考える。フィリピンのチャイルドたちは、後者の「幸せ」を無意識か、意識してなのか常に感じているのだろうと思う。そして、感情は自然と伝達し、共有されていくものである。私自身も、彼らが感じる「幸せ」と同じものを感じられたのだろう。次の日のミーティングで、一緒に渡航したメンバーが、キャンプファイヤー自体は目的がない行為なのに感動したと話していた。彼の言葉を借りると、目的がない行為こそが人間が本来求めている「幸せ」なのだろうと考える。あの時出会った男の子が言っていたように、誰かと笑いあえて孤独を感じることのない状況を、生きる場所に関わらず私たちは求めているのだと思う。日々の生活の中で、誰しもがどうしても余裕がなくなったり落ち込んでしまったりすることがあると思う。そのようなときでこそ、目的のないことや小さなことから感じられる喜びや幸せといった感情を大切にしていくべきなのだと思う。
フィリピンから帰国して時間が経った今でも、キャンプファイヤーでの瞬間は特に心に残っていて、思い出すと自然とチャイルドたちの顔が浮かぶ。思い出す度に感じるものは、単なるチャイルドとの別れに対する寂しさや出会えた喜びだけではなく、人間が本来求めている「幸せ」を彼らが教えてくれ、それを見出だせたことの感動なのかもしれないと思っている。
先に述べたように、「幸せ」の定義は自分を取り巻く環境、つまり自分にとっての「当たり前」によって変わることが多い。しかし、私がもしフィリピンのチャイルドだったらと想像すると、本当に1つ1つの出来事に希望を見出して日々幸せを感じて生きられるか分からない。だからこそ、彼らを尊敬するし、「幸せ」の意味を教えてくれた彼らに感謝している。「幸せ」の幅広さを知って、「当たり前」に甘えてきたといえる私にとっては衝撃的なこともあったが、改めて小さなことにも楽しさや価値があることに気づくことができて、「当たり前」の深みが増した気がした。
〇目が背けられる現実
6日目にはスラム地域を訪れた。そこでは、家が橋の下にあり、その下には川が流れていた。災害が起きることを想定すると、決して安定した住居が保障されていないことが確実である。そして、何より街の臭いがひどく、事実として認識していた出来事が自分の目に急に現実として突きつけられた感覚があった。実際、その臭いに耐えられず、子どもたちはたばこやアルコールで臭いを紛らわしたり、それらを臭いによる症状の鎮痛剤として利用していることを知り、街に溢れているゴミが複雑な問題を引き起こしていることを実感した。自分がそこで一生を過ごすことを考えると、正直耐えられるようなものではなかった。しかし、そこで出会った人々に挨拶すると笑顔で返してくれた。安定とは程遠い生活状況の中で、異国の地から突然人が来たら驚くし戸惑いがあるはずなのに、その笑顔には確かに温かみがあった。今まで、私自身ホームレスの人へ炊き出しをして交流した経験がある。そこでホームレスの人々には理由があって職を失ってしまったケースがあること、そして決して自分とは関係がないのではないことを知り、彼らの人間としての温かさを感じていた。しかし、路上や駅などで見るホームレスの人に対して何となく自分の中で境界線を引き、怖い気持ちを抱いていたことを思い出した。世間におけるホームレスの人々は、交流するという経験がなかったり、日常的に見る存在だからこそ、自然と偏見が積み重なって結果的に排除されてしまう対象になるのかもしれないと思った。このような現実は、自分が実際に見て経験しないとなかなか受け入れられることでないし、程遠いことだと目を背けてしまうケースもあるのではないかと感じる。だからこそ、周辺の地区の人々に話を聞き、理解を深めた私たちがこのような現実を伝えていくことが重要になると思った。
〇なぜ支援するのか、支援するにあたって
活動を通して、厳しい環境の中でも明るく過ごし、温かく接してくれた人々に深く感銘を受けた。私自身もチャイルドたちの純粋な笑顔に元気づけられ、救われたし、笑顔で過ごすことの大切さとその意味に気づくことができた。だからこそ、チャイルドたちがこの先、彼らが生きる環境によって夢を諦めざるを得ない状況になったり、苦しい思いをしたりする状況を決して見過ごしてはならないと感じる。私を幸せにしてくれた彼らの力になれるよう、そして恩返しができるようにしたい。これが、率直に感じたことだった。
生まれた場所が違うという現実があり、自分自身で決める事のできないその現実によって生きる道が決められてしまうのは酷なことである。しかし、そこで屈することなく人に愛情と敬意をもって接することは私自身も見習わなけばならないと強く感じた。私は、フィリピンのチャイルドたちは1つ1つの出会いや出来事を大切にしているのだと考えた。私自身が経験したように、彼らの笑顔によって支援者自身も明るい気持ちになり、救われる可能性は大きいはずである。国籍や年齢を超えた彼らなりの無償の愛が、対等な関係性をもたらしているのだと感じる。したがって、支援する側とされる側という2つの立場にとらわれず、お互いが同じ人間として対等に接するべきだと考える。そうすることで、お互いが学び合い、ポジティブな気持ちで物事に取り組んだり、夢に向かって努力したりすることができるのだと思う。支援者と被支援者の間で立場に差があると、善意や優しさというもので片付けられてしまうことがあり、必ずしも根本的な解決に繋がらないと思う。つまり、支援をしても立場の過度な線引きはそれを受ける人や社会への利益を意味のないものにしてしまうといっても過言ではない。そのため、社会全体が改善し、成長していくことを目指して支援をすることが求められるのだと思う。
そもそも、同じ人間として生きていく中で、生まれた場所が違うだけで生活が変わってしまうという状況は現実としてあるべき姿ではないと思う。現地に行って現状を知るだけでは、その一時の感覚として終わってしまうが、そこで一生を過ごす人もいるわけである。自分がそこで暮らすことを想像すると、絶望的だし、正直住める気がしないと思ってしまうからこそ、支援は続けていくべきだと考える。
一方、ミーティングで話し合ったことで、支援をしても本当に幸せになれるのかという話題が私の頭の中に残っている。自分の考えでは支援と幸せは直結しているように思っていただけに、その話題が出た時には少し悩んだ。支援チャイルドが教育を受け、就職することになったとき、マニラなどの都市に行くと経済的な面で苦労したり、現実を知って帰ってきてしまうことがあると知り、支援が絶対的に良いものであると断言できなくなってしまった。しかし、やはり考えてみると、自分を取り巻く世界よりも広い範囲の現実を知ることで、自分がどのように社会のために力になれるか考えることができるというのは一種の幸せなのではないかと思う。その中でも、無理な思いをしてまで社会に適応する必要はないのではないかという考えも自分の中にはある。しかし、自分が住む場所だけで幸せを作り上げることはできても、人間のあるべき姿の基準を下げる必要はないし、長い期間で考えると幸せでも生活の質が悪い状況だと根本的な貧困の解決に繋がらないと思う。結論としては、支援は直接的な幸せには繋がらなくても、長い目で見て貧困を解決するためには必要不可欠であると考える。加えて、もちろん目の前にあるすぐに解決すべき現状や教育を受けられないチャイルドたちのための支援は欠かせないが、同時に教育を受けるチャイルドが学校を卒業しても支援を受けられる環境整備が重要になるのではないかと思った。
これから支援について考えていくにあたって、大切にしたいと思ったことがある。ミーティングで北川先生がおっしゃっていた、賜物は誰かのために使ってこそ幸せに繋がる、という言葉である。活動の中で、チャイルドたちの純粋な笑顔を見て幸せという感情が湧き起こったことから、折角この世界に生まれたのだから、自分の持っている力を支援に活かしていき、それがチャイルドたちへはもちろん、自分自身への成長にもなると信じていきたい。そして、今回の活動を通して、貧困において多様な問題が複雑に絡み合っているのだと知り、自分が学ぶべきことが沢山あると感じた。これからも支援に関わるために、知識を少しでも増やして力になれるように努力していきたい。