キリスト教教育
愛と奉仕の精神を育む
~地の塩、世の光~
「あなたがたは地の塩である。」「あなたがたは世の光である。」マタイによる福音書 5:13、14(抜粋)
地の塩、世の光という言葉は、イエス・キリストに倣って歩むようにと促すものです。塩は味の調和に欠かせず、防腐剤の役割も担います。光は闇を照らし、神の愛によって生かされている幸いを伝えます。
キリスト教教育は、米国メソジスト教会の宣教師によって建てられたこの学校の教育の根幹を成すものです。高等部では次の3つを柱とした教育を行っています。
【3つの柱】
- 毎日の礼拝
- 聖書の時間
- キリスト教行事
またABF(聖書交友会)、聖歌隊、ハンドベル部、オルガン部といった特設クラブ部もあり、それぞれがキリスト教教育活動の一端を担っています。
私たちは、高等部で学ぶ生徒がこれらのキリスト教教育活動を通してキリストの愛に触れ、自己を見つめ、社会に貢献する若者として巣立ってくれることを強く願っています。
入学を希望する皆さんは、ぜひこの学校の願いを理解して入学してください。キリスト教の知識や信仰の有無が問われることはまったくありません。学校生活の中で、ぜひ積極的に聖書に親しみ、多くのことを学んでほしいと思います。
宗教主任より
宗教主任 北川理恵
他者との関わりで自分を見出す
~ 高等部のキリスト教教育 ~
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(マタイによる福音書7章12節)
この主イエス・キリストの言葉は、黄金律(Golden Rule)と呼ばれています。興味深いのは、「人がしてほしがっていることを人にしなさい」ではなく、「あなたが人にしてもらいたいと思うことを人にしなさい」と言っていることです。この言葉に従って周りの人に向き合う時、自分自身の心や望みにも同時に向き合うことになります。主イエスはまた「隣人を自分のように愛しなさい」ともおっしゃいます。周りの人々を大切にしようとするとき、自分自身もまた大切な存在であることに気づかされます。
精神分析家エリクソンによると、思春期・青年期に乗り越えなければならないテーマに「アイデンティティ」があるそうです。私が私であるということを認めるために、他者の視点で自分を見つめるようになります。その際、周りの仲間たちが大きな影響を与えてくれるでしょう。けれどそれだけでなく、人間にとっての究極の他者である神の視点があります。それこそが聖書が伝えているものです。
例えば、青山学院のスクールモットー「地の塩・世の光」は、「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」という主イエスの言葉から来ています。地の塩・世の光に“なろう”でもなく、“なりなさい”でもなく、“である”。つまり、あなたはそのような存在なのだというのです。塩は、相手を味付けし、相手を美味しくします。光は相手を照らし、相手の視界を開きます。相手がいることで初めて、自らの本来の力が発揮されるのです。
「あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分です」(コリントの信徒への手紙一 12章27節)という言葉もあります。なぜあの人が持っているものを私は持っていないのだろう、なぜあの人ができることを私はできないのだろうと、周りと比べてばかりいた私は、この言葉に出会って物の見方が大きく変わりました。目も耳も手も足も、それぞれに異なる特徴と役割があり、それらが一つの体を形成しているように、私たち一人一人にも違いがあり、役割があり、足りないところもある。だからこそ私たちは支え合いながら、共に生きる存在なのだと気づかされたのです。そして、神が望んで今の私を存在させてくださったと知った時、喜びで満たされました。
高等部の礼拝や授業を通して、皆さんが聖書の言葉に親しみ、新しい視点を手に入れられるようにと願っています。