2025年度フィリピン訪問プログラムに参加した生徒の礼拝奨励文
2026年3月20日(金)~3月26日(木)(6泊7日)にて、高等部がクリスマス献金や文化祭の収益をつかって支援しているフィリピンの支援地域を訪問しました。
今回は前半に2回目となるオーロラ州の支援地域を訪問し、後半では2019年以来となるカビテ州の支援地域を訪問しました。これまで、手紙でやり取りしていた高等部の支援チャイルドにも会え、たくさん話をすることができました。
受け入れてくれた支援地域のチャイルドの生活を見学し、キャンプファイヤーやTシャツプリントなどのイベントを一緒に楽しみながら、地域を支えるということや、心のつながりということについて、参加生徒たちはそれぞれの心の中で育むことができました。
〇参加生徒の礼拝奨励文
聖書箇所「ペトロの手紙Ⅰ 4章10節」
あなたがたは、それぞれ賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を用いて互いに仕えなさい。
おはようございます。今日は、フィリピンで私が出会った「ある親子」と、そこから考えたことについてお話しします。この写真をご覧ください。多くの車や人が行き交う交差点です。
一見、活気のある街の風景に見えます。しかしその中で、私はある親子の姿に目を奪われました。ここです。交差点の真ん中で、コップを鳴らしながら、幼い子どもを連れて物乞いをしているお母さんがいたのです。日本ではほとんど見かけることのない光景でした。
この親子を見たとき、皆さんはどんな感情を抱くでしょうか。「かわいそう」「心配だ」「お金をあげるべきなのか」。さまざまな思いが浮かぶと思います。私自身も、その場で立ち尽くし、何もできない自分の無力さを強く感じました。そして同時に、どこかで「この親子は努力すれば、もっと違う生活ができたのではないか」と考えてしまう自分がいました。
しかし、この考えは本当に正しいのでしょうか。今回のフィリピンでの経験を通して、私はその疑問に向き合うことになりました。そこで気づいたのは、個人の努力だけでは越えられない「社会の壁」が確かに存在しているということです。
それに気づかせてくれたのが、支援先のセンターで出会ったジャンくんでした。2、3年生の皆さんは、ジャンくんの顔を、一度はみかけたことがあると思うんですけど、わかりますか?…ジャンくんは私たちのクリスマス献金で支援を受けている子どもの一人です。彼は支援のお陰もあり、学校に通うことができ、成績も優秀で、小さい頃の夢はパイロットになることでした。しかし今、彼は「貨物船の船員になりたい」と言います。それは夢が変わったからではありません。お父さんがおらず、お母さんは出稼ぎに出ているため、ジャンくんが二人の妹の面倒を見ながら家庭を支えなければならない状況にあるからです。家族の生活を守るため、彼は最短で収入を得られる道を選ばざるをえませんでした。「もし、何にも縛られずに夢を選べたら?」という問いに対して、彼は「パイロットになりたい」と言いました。その言葉が、現実の厳しさを何よりも物語っていました。
彼のこの話は他人事ではありません。事実 、世界の船の貨物員の約4分の1はフィリピン人だと言われています。いま世界情勢が危うい中で海を渡る貨物員は危険と隣合わせの生活を送っています。私たちが何気なくインターネットで注文した商品が届くその裏側には、ジャンくんのような同世代の若者が、家族のために夢をおいて、リスクを背負って働いている現実があるのです。
ジャンくんは、努力をしていなかったから、夢を諦めることになったのではありません。努力をしていたのに、それが報われる環境が整っていなかったのです。私たちはこれまで、受験や部活動など、努力を重ねてきました。しかしそれは、頑張れば認めてくれる人が側にいる。頑張れば良い学校にいけたり、夢を追うことができたり、といった「努力すれば報われる」という前提があったからこそできたことではないでしょうか。世界には、生まれた瞬間から選択肢が限られている子どもたちや、努力しても報われる保証のない環境で生きている子どもたちが数多くいます。
最初にお見せした写真の親子も、決して努力をしてこなかったからその状況にあるのではありません。急激な都市の発展や物価の上昇、移住を強いられる状況など、さまざまな要因によって社会から取り残されてしまった結果なのです。
ネットショッピングの裏で、働くジャンくんのような存在。私たちが、きれいな街中で暮らしている裏で、移住を強いられている人たちの存在。私はこれらの現実に触れたとき、私たちの豊かさは、誰かの犠牲の上に成り立っているのでないかと考えるようになりました。そして、支援とは「かわいそうだからするもの」ではなく、この世界に生きる私たちの「責任」なのではないかと思うようになりました。
もう一つの支援先を訪れた際に出会った、同い年の少女にこんな質問をなげかけました。「もし日本のように何でもできる環境があったら何をしたいか」。すると、私がもっとも心に残った言葉が返ってきました。彼女は「もしチャンスがあるなら、他の困っている人を助けたい」と答えたのです。彼女はひとり親家庭で、支援がなかったら学校に行くことさえ難しい状況でした。それなのに、自分の困難を嘆いたり、贅沢を望んだりするのではなく、チャンスがあるならそれを他の誰かのために使いたい、と彼女は話してくれました。
誰かを助けることができるチャンス。私たちはすでに、彼女が憧れた環境の中にいて、「誰かを助ける」という選択肢を持っています。努力が報われる環境にいる私たちが、その力をどのように使うべきか。それが私たちに問われていることだと思うのです。
聖書はいいます。「その賜物を用いて、互いに仕えなさい」。
私たちは日本という豊かな国に生まれ、教育という大きな富を受け取っています。受け取った賜物を自分だけのものにするのではなく、社会へ還元していくこと。支援できる立場にある幸せを忘れず、顔も名前も知らない誰かの「隣人」として、共に喜び合える人でありたい。そう強く思いました。
お祈りします。天にまします父なる神様。今日こうしてフィリピンでの出会いと気付きを分かち合える時間をくださったことを感謝いたします。私たちは今、努力できる環境、努力が報われる環境という、大きな「賜物」の中に生かされています。どうか私たちが、この恵みを当たり前のこととして見過ごすのではなく、その裏側にある多くの人々の支えや犠牲に目を向けることができますように。私たちが今、自分のために重ねている努力が、いつか名前も顔も知らない誰かの笑顔や支えにつながりますように。この祈りを、主イエス・キリストの御名を通してお捧げします。アーメン。
