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2025年度東ティモールスタディツアーに参加した生徒のレポート

教育/平和・共生学習/東ティモールスタディツアー

貧困国、東ティモールへ

 私はこのツアーに参加するまで、東ティモールという国を知りませんでした。それでも初めての海外渡航としてこの国を選んだのは、世界の現状、特に貧困国と呼ばれる国を自分自身の目で見てみたい、という好奇心があったからです。これまで日本国内で様々なボランティアに参加してきました。世界を知らないまま活動を続けたくない、このツアーを通して自分から新たなアクションを起こしたい、という思いで今回のツアーに臨みました。

独立の歴史

 東ティモールは2002年に独立したばかりの国です。インドネシア軍との激しい紛争の末、98%ものティモール人が参加した選挙によって自分たちの手で独立を勝ち取りました。国内の戦争経験者は非常に多く、自分が戦争に参加したことを誇りに思っているようでした。現地の言葉であるテトゥン語で退役軍人を意味する「ベテラヌス」と呼ぶと照れくさそうに笑っていたのが印象に残っています。
 けれど、やはり紛争というのは悲惨なもので、多くの市民が虐殺された現場となったサンタクルス広場には所狭しと多くのお墓が並んでいました。生まれて間もなかったような赤子が埋葬された小さな小さなお墓も多くありました。私達と同じくらいの若者のお墓もあり、胸が締め付けられる思いでした。

コーヒー農園訪問

 今回のツアーでは、実際に日本のNGO団体の支援を受けているコーヒー農園におじゃまして、収穫から選別、発酵の流れを見せていただきました。歩くのも大変な斜面を歩きながら、慎重にコーヒーの実を収穫していきました。どんどん重くなっていく籠を抱えながら数時間斜面を行ったり来たりしながらの収穫作業はとても過酷でした。ベテランの農家さんたちの収穫はさすがのスピードでした。「すごい!」というたびに誇らしげにする様子からも、彼らのコーヒーに対するプライドや誇りが感じられました。熟した赤い実だけを収穫するために、何度も農家さんたちに収穫してもいい色かどうかを尋ねました。肉体的にも過酷な作業であるはずなのに彼らはずっと笑顔で、楽しそうでした。2時間近く収穫作業を行いましたが、出荷用の麻袋の半分にも満ちませんでした。広大な敷地を誇るブラジルなどとは違い、農園を整備することができず、大きな機械を使うこともできない東ティモールでのコーヒー栽培の厳しさを身にしみて感じました。
 
 最高級品質の基準は厳しく、収穫のときにあんなに注意してみていたのに、手作業での色の選別、網での大きさのふるい落としを終えたときには実は半分近くまで少なくなっていました。その後更に「フローティング」と呼ばれる作業で水に浮いた栄養の少ない成長不良の実を取り除く作業を3回行い、ようやく実と種を分ける機械に入れます。事前学習のときは収入を増やすためにも早く高い品質のスペシャルティコーヒーにしてしまえばいいのに、と話し合っていましたが、現実の厳しさを目の当たりにする良い機会となりました。コーヒーに対するプライドをもつ彼らにこうした細かい作業を伝え、実践してもらうのは骨が折れるようなことだと思いました。実際に多くの職員の方々が試行錯誤を繰り返したそうです。収穫基準に満たした赤を見分けられるようにと赤いリストバンドを導入したことがあると聞きました。働く女性はおしゃれをすることができ、早すぎる収穫によって無駄になるコーヒーの実も減らす非常に有効なアイデアだと非常に印象に残っています。
 それでもコーヒー豆に詳しくない私には、こうした選別を行わずにすべて出荷してしまったほうが量も増え、収入も増えるのではと思えてしまいました。それはおそらく現地の農家さんもかつて同じ気持ちだったのではと思います。
 スペシャルティではない品質の劣るコーヒーはc-priceと呼ばれるニューヨークの商品市場が毎年の需要と供給量によって変動させる価格で取り引きされます。世界中のコーヒー生産量の約4分の1を占めるブラジルなどの大国の生産量によって大きく収入が上下させられます。しかし、特に高品質であるコーヒーはこのc-price以上の高い価格で取り引きされます。この最高の品質に成長させるまでに、最初の数年は頑張っても収入が今までと変わらない、という地獄のような時間は避けられません。私達が訪問したときには当たり前のようにこの大変な選別作業をこなしていた様子から、PWJの方々の血の滲むような努力が感じられました。

技術支援

 東ティモールのコーヒーはティピカ種と呼ばれる非常に希少価値の高い単一種の木がほとんどです。そんなコーヒーをさらに専門的な知識を加えて品質を高めれば、年々コーヒーの需要が高まっているこの世の中で、その価値は計り知れません。そのため、日本などのNGO団体が現地で技術支援を行っているのです。
 私達が「支援」と聞いて主に連想するのは衣料や食料などの物資支援であると思います。しかし、現状その国の需要に合っていない物資支援がその国を助けるどころか苦しめてしまっている事象も少なくありません。例えば衣料の支援です。日本からでも多くの企業を通して誰でも参加することができますが、民間から集まった大量の衣服の行方を知っている人はどれほどいるでしょうか。私が今回訪問した東ティモールは、途上国、貧困国と言われていますが、衣服に困っているような人は見かけませんでした。私が50セント(約70円ほど)のTシャツを購入した山の上のマーケットにも多くの服が溢れていました。国際的地位の低い東ティモール政府は先進国からの支援を断ることはできません。そんなこの国に支援と称した中古の服が大量に届けばどうなるでしょうか。服の供給量が異常に増え、服の販売によって生計を立てている人々の仕事を奪うことになります。助けになるはずの支援がかえってその国の人々を苦しめることになりかねないのです。しかし、国ごとに違う需要に対して完璧に対応することは難しく、現地に長く滞在しなければ本当の現状は見えません。
 そのため、他の支援方法として「技術支援」があります。今回お世話になったPeace Winds Japan(PWJ)も現地で活動を行う団体の一つです。私は実際に訪問するまで、PWJの職員の方々と現地の農家さんの間に、上司と部下、師匠と弟子のような関係を想像していました。支援をする側が優位であるのは当たり前で、途上国の農家さんに技術を教えて「あげている」状態を想像していました。しかし、驚くべきことに実際はPWJの職員さんと農家さんは対等で、仕事を超えたパートナーのように見えました。仕事の合間には楽しそうに会話を交わす様子が多く見られました。私達もPWJの職員さんが現地の人々から聞いたというとても面白い怪談話を伺いました。また、今回PWJの方々の姿勢には私が想像していたような厳しさや焦りは感じられませんでした。例えば、過去にPWJの職員さんが支給したフローティング作業の際に使用するザルを使わず、プラスチックの皿に穴を開けた自作のザルを使っていても、「すごいアイデアだよね」と受け入れていたことです。現地の農家さんもPWJの方々を尊敬し、PWJの方々も現地の人々の知恵を尊重する姿勢はこの国の良さを残したままでの発展のために不可欠であると思います。PWJが現地の農家さんとともに目指す「フェアトレード」の実現のために、こうした小さなフェアは目標実現に向けた二人三脚において非常に大きな力を持つと思います。

本当のフェアなトレードを目指して

 現在、フェアトレードは国際機関であるFLOの認証を受けたラベルの付いた商品を販売するという固有名詞として捉えられがちです。しかし、PWJの目指す「フェアトレード」はこの認証を受けることではなく、自分たちの力で本当にフェアなトレードを実現させることです。
 国際フェアトレード認証(FLO)のラベルをもらうためには百以上にも及ぶ基準項目を満たさなければなりません。この厳しい基準を満たせるのは働き手から認証の手続きを行う人材を雇うほど経済的に余裕のある限られた生産者組合のみです。もし仮に教育を受けている子供が学校を休んで作業を手伝っている様子が見られれば、児童労働とみなされ認証は剥奪されてしまいます。このような条件は本当に支援を必要としているような貧しい農家には到底達成できるものではありません。加えて認証ラベルはあくまで生産過程においてFLOが定めた項目に対する保証であって、「おいしさ」という品質の保証ではありません。東ティモールの希少価値の高い、品質の高いコーヒーはこの認証によって損をする恐れさえあるということです。
 PWJはこの認証をとるフェアトレードを目的とはしていません。彼らの目指す「フェアトレード」とは、東ティモールの農家さんが他の国と対等に、フェアに取り引きを行うことができる状態を指します。現在東ティモールの人々は国際的な立場があまり高くないため、取り引きにおいて都合よく扱われる恐れがあります。そのためPWJが一時的に支援を行い、彼らが自分たちでフェアなトレードを実現させることができるようになるまでの支援を行っているのです。けれど、本当に「フェア」な状態とはなんでしょうか。
 私は今回東ティモールで本当に「フェア」だと感じた場面が2つあります。一つは私達がコーヒーを購入したときです。私達は今回お土産として大量のレテフォホのコーヒーを購入しました。家族や友人、親戚に渡したいからと3kgを超える量を購入した生徒もいました。しかし、それは決して売上によって農家の人々の生活が楽になれば、という同情によるものではありません。私達も本当に品質に納得してお金を払う、消費者側の妥協のない姿勢がありました。
 もう一つはタイスマーケットを訪れたときです。タイスとは東ティモールの伝統的な織物で、お土産として高い人気があります。そのタイスを購入するときに、今回付き添いをしてくれたスタッフさんの一人が値切り交渉をしてくれました。少しおまけをしてくれることもあれば、絶対に譲れないと断固として値段を下げないお店もありました。それはきっと彼らもタイスの価値が分かっているからだと思います。そこには自分たちの自慢の技術を安売りしたくない、という生産者側の妥協のない姿勢がありました。
 これらの経験を踏まえ、私は本当に「フェア」な状態とは生産者と消費者がお互いに妥協することなく取り引きできる状態であると考えました。個人間での取り引きでは多くの「フェア」を見ることができましたが、やはり国家間のやり取りとなるとまだまだ東ティモールの立場は弱いのだと思います。まだ支援が必要な安定しない途上国であるがゆえの国際的地位の低さが足を引っ張ってしまっています。

小学校、高校への訪問

 また、今回のツアーでは山の上の集落であるレテフォホにある小学校と、首都のディリにある高校へ訪問させて頂く機会がありました。
 小学校の子どもたちは、人懐っこい子から少し打ち解けるのに時間がかかる子など個性豊かでした。折り紙で遊ぼうと思っても渡した紙を折ろうとせず、ひたすら集めて眺めている子が多かったことに驚きました。みんな私の名前をたくさん呼んでくれて、言葉が全く通じないなかでも、確かにコミュニケーションが取れていると感じました。改装中だという校舎の代わりに仮の校舎の見学もさせていただきました。机はガタガタで、教室は昼なのに薄暗く、とても勉強に集中できる環境ではありませんでした。ひとりの生徒が普段使っているというノートを見せてくれました。驚くことにページを順番に使っておらず、適当に開いたページにまばらにいくつかの単語とイラストが書いてあるだけでした。この幼い子たちにとっての「勉強する」ということは私達とは全く違っていたのです。彼らにはまず、「勉強する」とは何かを教えなくてはいけない、という現地で活動するJICAの職員さんの言葉が印象に残っています。また、お手洗いの壁には手を洗う少年のイラストが描かれており、衛生意識に対する取り組みも見られました。
 首都の高校はまた印象が違っていました。きれいな校舎に多少ガタツキはあるもののしっかりした机と椅子、学習する環境はレテフォホの小学校とはまるで違っていました。ノートにはびっしりと文章が書かれていました。今回訪問したのは観光業や調理、被服などの専門学校でした。どのコースの作品も高校生とは思えないクオリティの高さで、驚きっぱなしでした。ホテル科の生徒の多くは実際にホテルに泊まったことがなく、他のコースの生徒も転校、退学が非常に多いそうです。専門学校とはいえ自分の経験からその職業を夢見てこの学校に入る生徒は稀であると聞きました。将来の夢を持つことがいかに恵まれたことであるかを感じました。
 自分たちと同じ年代の子たちとの交流は新鮮でとても楽しかったです。言葉はほとんど通じなくても、一緒にダンスをしたり写真を撮ったり、本当に楽しい時間を過ごしました。そのうちの何人かとは日本に帰ってきた今でも時々連絡を取っています。

私が見た「豊かさ」

 一週間の東ティモールへの滞在のなかで、私は一度もこの国が貧しい、可哀想だとは感じませんでした。むしろ豊かな国だと感じたことのほうが多かったようにも思います。
 一番印象に残っているのは現地の人々の温かさです。誇張ではなく、本当にすれ違った人全員が見知らぬ外国人である私達に笑顔で挨拶を返してくれました。中には向こうから話しかけてくれる人もいました。人と人のつながりが深くて日本にいると感じることのできないような温もりを感じました。私がこの一週間ずっと笑顔でいられたのは、先生方やPWJの職員の方々の優しさだけでなく、現地の人々の温かい雰囲気があったからだと思います。私達が宿でサッカーをしていて、溝にボールがはまってしまったときも、現地の東ティモール人スタッフの方が服が汚れるのも厭わず溝に体を入れてまで取ってくれました。また、東ティモールに来てから一度もホームレスの人を見ませんでした。それはどれだけ遠くても、貧しくても、親戚が放っておかないからだと聞き、人々の無償の愛やそれを行動に移せる行動力など、精神的な豊かさを身にしみて感じました。
 私はこれまで、貧困国というだけで一括りにしてしまっていたのだと思います。「貧困」という単語に経済的な部分も、精神的な部分さえも押し込んでしまっていました。けれど、実際に見てみると、確かに経済や技術面では他の国に劣る部分があるように感じるけれど、また日本とは違った豊かさがあって、貧困国、という言葉に違和感を覚えるようにさえなりました。
 本当に人々が温かくて、この国がどんどん発展していくのが寂しいとも思います。けれど、国際社会で渡り合っていくためには少なからず今よりも技術的にも経済的にも発展することが求められています。だからこそ、今の私にできるのは、東ティモールが発展していくうえで今の温かさを失わないように、私に笑いかけてくれた優しい人々が苦しい思いをすることがないように、需要にあった支援の必要性、現地で活動するNGO団体の活動など私が今回のツアーで学んだことを少しでも多くの人に伝えることだと思います。

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