TOP

2016年度フィリピン訪問プログラムに参加した生徒のレポート

教育/平和・共生学習/フィリピン訪問プログラム

貧困という問題の本質

貧困問題への偏見

みなさんの目には、貧困という問題に直面している人たちがどう映っているだろうか?きっとほとんどの人はテレビ番組やネットニュース、本などで貧困という問題に触れたことがあると思う。そういうニュースやテレビ番組を見ると、こんな貧しい環境に住んでいる子どもたちはきっと毎日辛い思いをして暮らしているのだろう。本当にかわいそうだ。というような憐みのような感情をつい抱いてしまう。特に私たちは事前学習で貧困について学んでいたので、なおさらその思いが強かったと思う。

しかし、実際にその子どもたちに会ってみると、自分がその子たちの可能性を決めつけて無意識にその子たちのことを自分より下に見ていたことに気づかされた。フィリピンに行く前は、世間のイメージで、フィリピンの貧困地帯に住んでいるような子は、きっとあまり感情表現は豊かじゃない子が多いんだろうとか、心を閉ざしてしまっているだろうなどと考えていた。でもフィリピンで会った子たちはみんな元気で、HelloとかHiと言って手を振ると照れながらも笑顔で手を振り返してくれるような子だった。自分がスポンサーチャイルドだということも、みんなの前で手を挙げて公言し、質問をすれば自分の考えや状況をはきはきと躊躇することなく話してくれる子ばかりだった。ギマラス島で仲良くなった同い年の子や、マニラで出会った高等部が支援している女の子は、高校へ行けば親友がいて、頼れる先生もいて、友達と話すときのノリや教室の少しふざけた感じの雰囲気は、私たちと何一つ変わらない。そのとき自分は実際に目の前で会ってみないとわからないような、とても大事なことに気づけたのではないかと思った。と同時に貧困という問題に対して偏った印象を持っていた自分がその子たちをどこかかわいそうな目で見ていて、わかったようなつもりでいたことが恥ずかしくなった。

本当の貧困

ただ、その子たちと私たちには明らかに違っているところがある。それは私たちを支える「土台」と、フィリピンの子どもたちを支える「土台」だ。引率してくださった先生が、「乗っているのは同じ人間。でも私たちは鉄パイプで支えられていて、彼らは爪楊枝のようなどこかが壊れるとすぐに崩れてしまうような脆い土台でできている。」とおっしゃっていた。ではその「土台」とは一体何なのだろうか?このプログラムを通して私が思ったのは、土台とは「子どもが持つ権利」だということだ。フィリピンに行く前、チャイルドファンドジャパンの事務所に訪問した際に、「子どもの権利条約」に基づいたチャイルド・プロテクション・ポリシーというものについて学んだ。子どもの権利条約は1976年に国連により発効され、すべての子どもには平等に守られるべき権利がある、と定められているものだ。健康に生まれ、安全な水や十分な栄養のもとで健やかに成長する権利である「生きる権利」、あらゆる種類の虐待や搾取から守られなければならないという「守られる権利」、自由に意見を表したり、集まってグループを作って自由な活動ができる「参加する権利」、教育を受け、休んだり遊んだりできる「育つ権利」の四つを定めている。初めにこれを聞いたとき、日本で子どもの権利条約というものはあまり深く認識されていないし、正直あまりピンとこなかった。でもそれは、私たちが当たり前だと思っていた中で、それらの権利がすべて守られていたからなのだとフィリピンに行って分かった。

子どもたちの当り前

今回のプログラムで同年代の女の子2人と仲良くなった。1人は農村部で、もう1人は都市部で出会った子だった。二人とも、はたから見れば普通にいるような明るい子だった。でも家に案内されたときに本当に驚いた。

1人目の子の家は車線が1本しかない山道のようなところを走った先にある木々に囲まれた森のようなところにあった。そこには家が3つほどあって、1つは青山学院の支援チャイルドの家で、私が仲良くなった女の子の家は彼の家の近くにあった。この地域の家はほぼすべてが同じような作りで竹や木でできた手作りの家が多く、エアコンや扇風機などはなかった。彼女は、学校が遠いので毎日ジプニーやトライシクルといった、日本のタクシーを簡易化したような交通手段を使って通学していると言っていた。

もう1人の女の子の家は1人目の女の子が住んでいた農村部とは異なった意味で大変な場所に住んでいた。多くの建物が敷き詰められたように密接して建っているスラムの中、コンクリートで建てられた決して大きいとは言えない家に家族7人で生活していた。とてもじゃないが7人もの人が生活できるような広さはないと感じた。空気も悪く、家の中に入ると真っ暗で、中でも生活用水の臭いがし、外は排気ガスと土埃が舞っているような場所だった。彼女も学校が家から遠く、トライシクルと呼ばれるフィリピンの交通手段で学校まで通っていると言っていた。

日本で生活している私にとっては到底耐えられない環境に住んでいる2人を見て、今まで当たり前だと思っていたことがどれだけ恵まれていたかを痛感した。2人の生活環境はみるからに健康に成長できるような「生きる権利」が十分に守られていないと思った。しかし2人が共通して言っていたことは、私は家族が好きで、学校も好き、今の生活も好きということだ。私がその子たちに学校は好き?家族は好き?今の生活は好き?と聞いたことはその子たちにとっては何とも思わないようなことだったかもしれない。しかし私には何を当たり前として何に感謝するかという物事を測る物差しの断片が見えたような気がした。

首都から離れた島の農村部で会った女の子で夢はファッションデザイナーだと教えてくれた子がいた。でも、その夢は今いる島では叶えられないと言っていた。というのも、学校では技術を教えてくれるようなところもなく、島には目立った洋服店もないからだ。しかし、暮らしている島の環境的にその夢をかなえるには難しいのではないかという状況の中で彼女はちゃんと未来を見据えてちゃんと行動に移していた。私が普段放課後は何をしてるの?と質問をしたときに彼女はプロジェクトをしていると答えた。彼女は学校では普段技術を学ぶ機会はないから、自分たちで様々な技術を学ぶプロジェクトを立ち上げて学んでいるんだと教えてくれた。16歳から難しい環境の中自分の夢を見据えて学ぼうとしている行動力に驚いた。彼女より年上の自分が特に決まった夢もなく日々を淡々と過ごしていたことが本当に恥ずかしく思えた。

また彼女を支えている土台も自分のやりたいこと、学びたいことが今いる環境ではかなわないという点において「育つ権利」が脆いのだなと思った。島を出るにも、大好きな家族と別れることや、大学のある島に渡る船の運賃が必要になること、また大学に入って勉強するにもお金が必要になることなど多くの課題がある。それを考えれば考えるほど決断すればやりたいことができる可能性がたくさん転がっている環境に恵まれている私たちがどれほど自分の日常が貴重であるか奇跡のようなものだということを実感させられる。と同時にフィリピンの子どもたちにとって自分たちが持つ権利というものはとても重要なものなんだと分かった。

今思えば今回訪れた小学校や高校のすべての教室に子供の権利に関する言葉が飾られていた。それも彼らに権利というものに関して意識を持たせ、これが現状だとあきらめてはいけないということを認識させる手段の一つだったのかなと思える。

土台を作ってしまった責任

しかし、このように彼女たちが直面していることはそのような環境に生まれたからには仕方がないということですむものではない。というのも私たちが住んでいる先進国は彼女たちの土台を脆いものにしてしまった責任があるからである。私たちが初めに行ったイロイロ市には外資企業による多くの建設中の建物やショッピングモールがあり、マニラでは沢山の外資企業の工場を見た。中には日本企業のものもあった。これらが意味していることは先進国が土地を安く買えるフィリピンで、自国よりはるかに安い人件費で大量のフィリピン人を雇っているということだ。

実際このことにより利益を得るのは労働者のフィリピン人ではなく、企業の資本家や投資家であり、フィリピンの経済は発展するがフィリピンという国の内部では経済格差が広がってしまっている。私たち先進国が搾取しているといっても過言ではないのだ。ではこれからは脆い土台で支えられている彼女たちに私たちがどう支援すればいいのか、支えればいいのかということを考えたいと思う。

本当にするべき支援の形とは

今回行ってみて分かったことは、お金という支援ももちろん必要だろうが、子どもたちが直面している問題はお金だけで解決できるような問題ではないということ。子どもたちの今ある生活は、教育、衛生、経済という3つの要素が複雑に絡み合って成り立っている。

初等部に行ったとき、先生から「衛生、教育、経済のうち一つしか支援できないとしたらどうする?」という問いをかけられた。初め教育があればすべての問題が解決すると思い込んでいた私は、教育ではないか、教養があれば何でもできるのではないか、と思っていた。しかしフィリピンに行ってみて、どれか1つを解決すれば済むような問題ではないということに気づかされた。

農村部では、大人でも読み書きができない人が多いので、多額の利子が付いた契約書を書いてしまい、一生小作農で、子どもたちはいまだに曾祖父などの遠い世代の借金を返し続けているという家庭が多く見えた。たとえそこに教育があってもお金がないので教養を得られないまたは得ても活かせないという状況があった。

都市部のスラムでは、教育を受ける受けない以前にまだ幼いのに栄養失調に苦しんでいて髪の色素が抜けた茶髪の子を多く見たり、家庭にあるような水はみるからに衛生状態が悪いものだったりして、衛生という問題が大きく子どもたちの教育を妨げていた。これらの状況を見て、私たちがやらなければいけない支援というものは衛生、教育、経済どれもが同時に発展していくよう支えるということなのではないかと感じた。しかし、日本というような気軽に行けるほど近くない国に住んでいる私たちにとって、衛生、教育、経済を支援していくということは私たちもそうだが、会っていない人はなおさら目に見えてつながりが見えず、支援している相手がどのような人なのか、どのように改善していったのかというような想像がつきにくいと思う。だから高校生の私たちには、同世代の私たちにしかできない支援の形があると思う。

バリュー・フォーメーションから学ぶ新しい支援の形

今回のプログラムで訪れたセンターに限らず、各センターすべてに子どもたちに対しバリュー・フォーメーションというプログラムを行っていた。バリュー・フォーメーションとは「自分を尊敬し、また他人を尊敬できるような良い人格を形成するプログラム」だとセンターの方はおっしゃっていた。バリュー・フォーメーションは運動会や自分の気持ちを表現する発表会などを通じて、運動できる子もできない子も自分を表現するのがあまり得意でない子も得意な子もみな平等に愛されているんだ、自分が自分でいることに自信をもっていいんだ、表現していいんだということを教えて、難しい環境にいる子にも自尊心を持たせるというプログラムであった。

自分が、平等に愛されている存在だ、自信をもっていいんだという自尊心が持てるようになると自分と同じように他人も愛されている存在なんだという他人への尊敬が生まれ、それが結果として彼らの笑顔、明るい人格を形成しているのだとわかった。特にスポンサーチャイルドは、遠くで自分を支援してくれる人がいるほど優秀だと認められたんだという自尊心がついて、彼らの心の部分での支援につながっているのではと感じた。初等部の先生が、「貧困地域の子供たちが失って一番怖いのは自尊心だ。自分を大切にするという感情がなくなれば今の状況からどうせ抜け出せないどうせだめだと諦めてしまうから。何もできなくなってしまうから。」とおっしゃっていた。なるほど、と思った。これまで子どもたちを取り巻く様々な環境についてどう支えればよいのかと考えていたが、それはその子どもたち自身の心持ちが前向きであると前提にしたうえで考えていたのだ。

バリュー・フォーメーションは「あなたは愛されている」ということを認識させる活動のことだ。これを聞いたとき私は1つ思い当たったことがあった。マニラのスラム街に行って高等部の支援チャイルドのカミーレという女の子の家を訪問した時、彼女の部屋にフィリピン訪問プログラムの報告会の時に参加した高等部生がカミーレに向けて書いた寄せ書きが大きく飾ってあった。私自身も報告会に参加していたので「これ私が書いたメッセージだよ」というとそれまで少し恥ずかしがっていて静かだったカミーレが飛び上がって目を輝かせて、「これ書いたのあなたなの!?嬉しい!!」と言ってくれたのだ。そのメッセージを書いたとき、まさかこんなに喜んでもらえると思っていなかったので、目の前で繋がりというものを強く感じて私も嬉しくなった。

ここで私が思ったのは、平たく言えばこれも支援なのではないか、ということだ。日本という離れた国でも、あなたのことを思っている人がいるという事実が、彼らの自尊心に直接影響を与えるのではないかと気づいた。高校生からしても、学校で支援している子がどんな子なのか、どこかで繋がりを感じられる、支援する側もされる側も現実味のある支援の仕方になる可能性が大いにあると思う。お金や道具などの支援ももちろん必要だが、それと同時に彼らの行動力、原動力に直接語りかける支援の仕方もあっていいんじゃないか、と思った。

最後に

このプログラムを通してフィリピンという国と、またその国に住んでいる人たちと繋がりを持ったその瞬間から、私はその人たちのことをこれからも考え続けなければならない、と思った。いや、本当は考えずにはいられなくなった。はたから見れば私たちと何も変わらない、同じ人間であり、むしろいつも笑顔で普通の人より明るいのではないかと思える彼らを根深い「貧困」という問題が子どもたちの未来を遮ってしまっている、可能性を閉ざしてしまっているということを私たちは認識しなきゃいけない。

当たり前のことだと思っていたことが彼らにとっては奇跡のようなものだと気づかされた今回のプログラムで、私は自分の物事をみる物差しを大きく変えられた。彼らと対等な目線に立って、同じ高さの土台にまで共に持っていくこと、それを支えることこそ、彼らの住んでいる環境とは比べ物にならないほど豊かな国に住んでいる私たちができる支援というものの在り方なのだと思う。これからも貧困問題という根深い問題について、たとえゆっくりでも何かが少しずつでも着実に変わっていくように彼らに寄り添い続けながら考え、支えていきたい。

(66期 参加生徒)

error: Content is protected