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2018年度フィリピン訪問プログラムに参加した生徒のレポート

教育/平和・共生学習/フィリピン訪問プログラム

終わりのないパズル

1. はじめに

「貧困」という言葉を聞くと、「かわいそう」というような、同情の気持ちが自然と湧いてくる人ほとんどだろう。また、そんな「かわいそうな人たち」をみると、「助けてあげた い」、「支援したい」という気持ちを抱く人もいるだろう。 フィリピン訪問プログラムに参加する以前の私も、心のどこかではそう思っていた。しかし 7日間の滞在と交流を経験した今、決して「かわいそうな人たち」ではないこと、そして多くの学んだこと、我々が考えるべきことを報告したいと思う。
     

2. センター訪問

私たちは、イロイロにあるセンター41、ギマラス島にあるセンター30、カヒビテ州にあるセンター35の3つのセンターを訪問した。どのセンターでも、たくさんのごちそうでおもてなししてくれたり、伝統的なダンスなどを披露してくれたり、こんなにしてもらっていいのだろうかと思うほど、心から私たちを歓迎してくれた。

どのセンターでも交流の最後には必ず、チャイルドたちと初等部生、高等部生全員で輪になって肩を組みながら、「We are the world」を歌った。 肩を組み、リズムに合わせて体を揺らし、目があったらにこっと微笑み合いながら全員で歌うと、一つになった感じがした。経済状況や、置かれている環境は違えども、本質的なところてで、彼らと私たちは何も変わらない。この曲の歌詞にもあるように、「We are the world」、「We are the children」であり、私たちは一つであり、同じなんだなと、忘れかけていたような大切な何かを感じたような気がした。

私はセンターで、仲良くなったチャイルドたちに必ず2つの質問をした。「将来の夢は何?」と「幸せな瞬間はいつ?」だ。まず、一番驚いたのは、私が将来の夢を質問した子の中に、「将来の夢がない」や「決まっていない」という子が一人もいなかったことだ。私と同い年くらいの子はもちろんのこと、 私より年下の子も、みんな明確な将来の夢を持っていた。そのために学校に行ったり、家事や兄弟の世話などの家の手伝いをしながらも自宅で勉強して、その夢をなんとか叶えようと努力している。将来の夢も決まっていないのに、努力すらもしていない自分がなんだか恥ずかしくなった。また、その夢が叶えられるかが難しいような状況の中でも懸命に頑張っている彼らを目の前に、自分は何をしているのだろうと、情けなくもなった。

チャイルドたちは、教師、ジャーナリスト、エンジニアなどたくさんの夢をキラキラとした眼差しで、真剣に語ってくれた。このことを、センター30 のスタッフであるレイさんに話すと、「チャイル ドたちの夢は必ずしも叶うわけではない。しかし、夢というものは叶えるよりも、その夢に向けて頑張ることが一番大切。たとえ、叶えられなかったとしても、その夢に向かう過程や姿勢が大事」と教えてくれた。また、「今日は教師になりたくても明日は警察官になりたくなる子がいるかもしれない。それでもいい。夢は変わることもたくさんあるけど、大きな夢を持つことが大事だからね。」と聞き、なんだかチャイルドたちがかっこよく見えた。 また、幸せな瞬間を尋ねると予想外の答えが返ってきた。センター30で私が仲良くなったフリンセスは「学校を卒業して家族が喜ぶときが幸せ」、メイリーンは「学校に行って、勉強したり、友達と話しているとき」だと教えてくれた。チャイルドたちは、「学校に行っているときが幸せ」だと本気で心から思っていて、私たちがいい子ぶって言うような模範回答のようなものでもなく、それが彼らにとっての本当の幸せなのだと知り、のどに何かがつまったような感覚になった。今までの自分の考えを改め、自分より周りを想える彼らを尊敬し、私も見習おうと思った。
   

3. 子どもたちの笑顔とバリューフォーメーション

初等部5年生の時にも、このフィリピン訪問プログラムに参加した私にとって今回は、6年ぶり、2 度目の参加となった。 道路に山積みになっていたゴミがなくなっていたり、信号待ちの時に私たちにお金を求め てくる物乞いをする人たちが減っていたり、逆に大型ショッピングモールをはじめとするたくさんの建物が建設されていたり、6 年前と比較して、変化していると感じることや場面はたくさんあった。

6年前、フィリピン訪問プログラムを通して、私は「笑顔のサイクル」というものを学んだ。 チャイルドの笑顔から気づかされた、誰かが笑顔で誰かににこっと微笑めば、その微笑まれた人も笑顔になり、その笑顔が自然と広がっていく。今回も、センターで私が一番印象的だったのは、子どもたちの笑顔だ。キラキラと輝いていて、その笑顔を見ているだけで、自然とこちらも笑顔になれるようなパワーを持っていた。また、愛想笑いなどでは決してなく、彼らは心からの笑顔を私たちに向けてくれた。今回は、その「笑顔のサイクル」だけでなく、そんな彼らの笑顔の奥にある想いや意味などといった、6年前よりもさらに深いことを考えることができた。それは「バリューフォーメーション」と大きく関わっている。

<バリューフォーメーションとは>

バリューフォーメーションとは、「価値形成」のことで、自分がここにいていいのだという存在の肯定や、自分の魅力や、物事への取り組み方を教える、支援センターが行っているプログラムのことだ。具体的には、自分に価値があることや、家族や友達との関わり方、いじめや虐待の防止と対策、権利や生き方が守られるようにすること、カトリックの信仰などを教えている。また、 センタースタッフにバリューフォーメーションにおいての大切なことを聞くと、「生活を変 える自信を持たせることと、夢を大きく持たせて、チャンスを与えたり、増やしたりすること」だと教えてくれた。貧困の中で生きている彼らに、もしバリューフォーメーションがなければ、自分の魅力や生き方などの大切なものが分からなく、自暴自棄になることやいじめや暴力が多発してしまうのかもしれない。

バリューフォーメーションは自分の魅力に気づく役割を果たすことなどももちろんだと思うが、バリューフォーメーションとは決してそれだぇではないのだということを、この 7 日間を通して実感した。 決して裕福で豪華とは言えないような、農村部の木や竹で作られた、10 人以上で一斉に入 ったら壊れそうな家や、都市部の衛生環境も悪く、道に落ちているものなどを拾い集め、それらを材料として建てた、電気も小さな豆電球が一つしかないような暗く狭い家。そんな家 を彼らは、決して恥ずかしがったり、見せるのを拒んだりせずに、むしろ私たちを歓迎してくれた。彼らは、自分が貧困という状況の中にいるという事実を受け止めているのだ。そのうえで、自分のことを誇りに思って生きている。 このバリューフォーメーションについては、夜の振り返りのミーティングでも何度も議論 が重ねられ、その中で「人に自分の弱さをさらけ出せることが、彼らの強さであるのではないか」という意見が出た。その時、私たちはどうだろうと自分自身に問いかけた。私は、弱い部分を必死に隠し、強い部分だけが見えるように取り繕っているのではないだろうか。

<自分のことだけではないバリューフォーメーション>

翌日、センタースタッフのレイさんに、バリューフォーメーションの具体的な活動を聞いて みると、年齢別に活動内容やアプローチの仕方を変えているとのことだった。まず、小学生 はまだ難しいことはわからないため、ゲームや遊びを通してバリューフォーメーションを 教えているという。中学生になると、役割を決め、台本に沿ってその役になりきるロールプ レイングゲームを行い、家庭内でのドメスティックバイオレンスや、学校でのいじめなどの現場を演じ、感情を考え、理解し、それを皆で共有することをしているそうだ。高校生にな ると、台本ではなく劇などを用いて自分自身で表現したり、ディスカッションやプレゼンテ ーションをすると教えてくれた。さて、私たちは相手の感情を考えたり、人に感謝することにおいて、自信をもって「できている」と断言できるだろうか。ギマラス島の人たちは、島が大好きだと皆、口をそろえて言っており、ギマラスの自然や、自分の家族を愛していた。 「I love Guimaras」の T シャツを着ていたり、父母兄弟だけでなく親戚をも家族としてい る「Big family」の精神を持っていた。チャイルドたちがいつも誰かを想っているのはなぜかとレイさんに聞い てみると、「それは家族や友達と、よい関係が気づけているから」と教えてもらった。さらに、センタースタッフは、昔支援を受けていたという元スポンサーチャイルド゙が多いことについて、元スポンサーチャイルドであるセンタースタッフのフランシスさんは「自分が助けてもらったことに感謝をしているから、今度は自分と同じような子どもたちをサポートしようと思ってスタッフとして戻ってくる。」とお話してくださり、これもバリューフォーメーションのおかげなのだと思った。バリューフォーメーションは、自分だけで なく、人に対してもはたらき、人のためになにかするという精神にも影響するものなのだと 知った。

<地域ごとの特色>

バリューフォーメーションの大切さは、ここまでで理解してもらえたと思うが、その必要性は地域や環境によって異なることがわかった。農村地域であるギマラス島では、現在、島と島の外を繋ぐ橋の建設が問題としてあげられている。もちろん、橋をかけることによって島の外へ出かけやすくなったり、海外企業の店が入ってきて、雇用が増えるなどのメリットもある。しかし、橋の建設により、近隣の島から麻薬やギャンブルなどが流入し、人々の笑顔が脅かされる事態になることが恐れられている。橋を建設し、たとえ麻薬やドラッグなどが入ってきて、それらが自分の目の前にあっても打ち勝てるような、周囲に流されない心と芯のある強さを持ち、正しい判断ができるように自分を確立するために、バリューフォーメーションが必要であり、バリューフォーメーションは、何が善で何が悪なのかを自分で判断する、自分達ができる最も有効な手段であ る、とセンター30 のセンター長である Dr.リーが話をしてくれた。 一方、虐待や暴力などの問題が多発し、それらが世代を超えて連鎖する状況の中にある、カビテ州では、それらの危険から守り、子どもたちの権利を保護するために、バリューフォーメーションが必要だと、センター35 のセンター長であるエドさんが話をしてく れた。その必要性は、地域ごとの環境や現状、また抱えている問題によって異なるが、共通して言 えるのは、「バリューフォーメーションが必要」ということだ。

<誰もが持っているもの>

バリューフォーメーションは、貧しい状況に置かれた人たちのみに必要なものなのか。私は決してそんなことはなく、誰もが必要なものなのだと思う。もちろん私たちだって気づかなくとも持ち合わせているものだし、人間誰しもが生まれた時から持ち合わせているものな のだと思う。では、彼らと私たちの違いは何なのだろう。それは、自分の「バリュー」(価値)に気づいているか、気づいていないかだと思う。事実から目を背けず、自分の置かれている状況を受け入れて、自分の価値や魅力に気づいている彼らは、それらを誇りに思うことができ、また人にも感謝の気持ちを忘れず、小さなことにも幸せを感じられるのだと思う。 私たちだって、そのような心が全くないわけではないと思う。フィリピンに行く前の私よりも、今の私の方が確実に「バリュー」に気づけたと思うし、学んだことや得たことがたくさんある。だから、バリューフォーメーションとは、自分の価値である「バリュー」に自らが気づき、それらを自らで「フォーム」(形成)していくことで見つかるものなのだと気づいた。まずは、私も自分で自らを「バリューフォーメーション」しなければならない。

<大切なもの>

センター30 のスタッフであるフランシスさんは、「一番大切なことは、今日も命が与えられ ていること、今を生きられている事だ」と言っていた。私たちが一番大切にしているものは 果たして何だろう。お金、名誉、肩書、プライド・・・? フランシスさんに、お金は大事だと思うかと聞くと、「お金は、他の誰かをサポートするためや、他の誰かの夢をかなえるために必要なものだが、お金それ自体は大切ではない」と話してくれた。私は、お金を誰かをサポートするためのものだと思ったことはなく、自分がやりたいこと、欲しい物のためのものだと思っていた。

このフランシスさんの話を受けて、幸せとは何なのだろうかと、あらためて考えた。きっと幸せとは、「何をどのくらい持っているかの基準」ではなく、「自分の持っているもの、与えられているものに喜び、感謝すること」なのではないかと思った。また、自分の幸せを見つけられない人が、人を幸せにしてあげようと言うのは間違っている。だからまずは、日々の生活の中で小さな幸せをたくさんみつけていこうと思う。 そして、相手の幸せを理解し、相手が本当に求めているものが分かり、はじめて助けることができる。幸せの「ものさし」は一人一人違う。だから、もっとお互いを理解できたらと思う。

<結論と今後>

私たちには、明確な目標や将来の夢がある だろうか。夢を叶えることが難しい状況の中で諦めずに、夢を持ち続け、日々その夢に向かって地道な努力をコツコツと続ける力があるだろうか。そして、その夢や努力を堂々と公に語ることができるだろうか。心からのキラキラとした笑顔を初対面の人にも恥ずかしがらずに向けることができるだろうか。会って間もない人に、裕福とは決して言えないような暮らしを、誇りをもって紹介するといった、 自分の弱さをさらけ出す強さがあるだろうか。家族や友達の幸せを自分のこと以上に願っているだろうか。私たちにはできないことが彼らにはでき、私たちに足りないもの、欠けているものを彼らは 持っている。

しかし、彼らには、お金がなく、暮らしに欠けているところがたくさんある。素敵な彼らだが経済的には貧しいのが現状だ。先進国で裕福な暮らしをし、お金はあったとしても心は貧しい私たちのパズル。もう一つは、開発途上国でお金がなく、貧困に苦しみながらも、心が豊かなフィリピンの人たちのパズル。 それぞれ、欠けているピースがあるのだと思う。なくしてしまったり、どこかで落としてし まったり、本来持っているのにそれに気づいていなかったり...。今、様々な形のピースが、 様々な出来事によって、複雑に絡み合い、パズルをより難解なものにしている気がする。もっと単純に考えればいいと思う。お互いがお互いの欠けているピースを探して見つけ出したり、欠けているピースを補うために一緒にあらたなるピースを作成する。

なぜ今まで一方的に私たちが彼らに何かしてあげようと思ったのだろう。お互いに足りない部分を助け合っていけばいいではないか。「We are the world」「We are the children」なのだ。だから、私は「支援」のことを「助け合い」と呼びたいと思う。一方的に「助けてあげる」のではなく、お互いの足りないところをお互いが補っていく、そんな形になればいいと思う。

そして、まずは自分に誇りをもって、人に流されず芯を持つこと、家族や友達に感謝することを忘れず、今日も生かされていること、命が与えられていることに感謝して生きていこうと思う。 だって、「一番大切なことは、今日も命が与えられていること、今を生きられている事」だから。

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