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2016年度 伝道週間(10月) Mission Outreach Week

教育/キリスト教教育/キリスト教行事

「主イエスに出会って」

今年度2回目の伝道週間は「主イエスに出会って」というテーマを掲げ、5日間それぞれ違う先生方に「証」をしていただきました。「証」とは、自分がどのようにして主イエスに出会い、信じるようになったのか、その後、主イエスとともにどのような生き方をしているのか、というお話です。 2日間は高等部の卒業生でもある教員から、3日間は色々な立場で活躍するゲストからお話をうかがい、その経験や生き方を通し、改めて主イエスについて、自分との関係について思いを巡らせるときとなりました。

10月24日(月)「主を知り続け」堀井 ローレン さん(音楽家)≪ホセア書6:3≫

「我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。 主は曙の光のように 大地を潤す春雨のように 我々を訪れてくださる。」ホセア書6:3

両親・親戚がクリスチャンという環境で育った堀井さんは、徐々に神さまを知り、“何となく”変わっていった経験をお話してくださいました。 堀井さんは友人関係の悩みなどで高校をやめ、バイトをしたり家を出たり、不安定な生活を送っていました。その中で小さく祈り、神さまを近くに感じたいと思うようになり、母親に誘われて新しい教会に行き始めます。教会で劇的な変化があったわけではありません。しかし次第に神さまのことがわかり始め、後にはハワイの神学校に編入。ミッションスクールに通っていた時は不真面目だった堀井さんは、神さまを知り続けたことで、現在では喜びに満たされ、神さまの愛・すばらしさを歌う音楽家として活躍しています。

礼拝では、「神さまのくださる希望は失望に終わらない」「神さまはいつでも私たちを愛して見守っている、私たちが神さまの瞳から消えることはない」と、透き通った声で2曲の賛美が捧げられました。汚く見えるパズルのピースを、神さまは美しく変えてくださる。そのように語る堀井さんの証を通して、神さまを知ろうとすることの大切さ、私たちに応えてくださる神さまの愛を感じました。

10月25日(火)浅原 先生(聖書科講師)≪コリントの信徒への手紙二12:9~10≫

「すると主は『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」  

浅原先生は、昔からケガが多く、体力的な部分に劣等感を抱いていました。しかし忍耐して弱さの克服に努めるのではなく、勉学に励むことでその弱さから逃げていました。自分は人間として欠陥品なのではないか。そのような意識を持ったまま大学生になった時のことです。どうしても弱さと向き合わざるを得なくなる出来事が起こり、なぜか聖書を開きました。するとそこには、弱く何もできない自分でも、神さまは主イエスを与えるほどに愛しているのだと、はっきり記されていました。弱さと向き合うことで人間が磨かれる喜びを知って欲しい。主イエスに出会った先生は、そのような思いを抱きながら、牧師・教員として神さまのために働いています。

10月26日(水)渡辺 先生(英語科教諭)≪ヨハネによる福音書15:4≫

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」ヨハネによる福音書15:4

渡辺先生は、会社員となってアメリカに渡った際、自分の今までの価値観を揺るがされ、“神”的な存在を信じるようになります。しかしそれは「理神論」であり、クリスチャンになるのは負けだ、という考えがありました。その後、教会に通い様々なクリスチャンと関わる中で、自分は神さまから逃げているのではないかという思いが生じ、答えを求めて祈りました。その時与えられたのは、洗礼について書かれたローマの信徒への手紙6:4、主イエスとつながっていなさいと説くヨハネによる福音書15:4でした。自分の“負け”を認めた先生はクリスチャンとなり、教員として福音を宣べ伝えるようになりました。渡辺先生が経験したように、現在も神さまは、様々な方法で私たちに語りかけています。

10月27日(木)「ありのままに生かされて」飯田 さつき さん(ジャズシンガー)≪箴言3:5~6、ペトロの手紙一4:10~11≫

「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば  主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」箴言3:5~6

飯田さんは、父方が天理教、母方がキリスト教(親戚に4人牧師が居る)という夫婦の間に生まれ、育ちました。幼少から通っていた教会ですが、小学校高学年頃から教会に対してアンチの思いが出てきて、中学に入るとその思いが増し、生活面でも中学2年生の頃には親や世間に反発するかのように、ヤンチャをやり始めギャルになりました。そして高校1年生の時、自主退学の危機に直面しましたが学校に引き留められ、更生することを誓い、もやもやした中生活していました。一方で、時々通う教会で、真面目そうに振る舞って本来の自分を隠しながら通うのは窮屈でした。 しかし同年代のクリスチャンが集うキャンプに参加し、自分の浅はかさに気付きます。そして自分のような存在を受け容れてくれた神さまを信じ、高校2年生のクリスマスに洗礼を受けました。 ジャズシンガーとなったのは、好き勝手しているヤンチャ時代に言われた「何か一つのことを極めろ」という父の言葉がきっかけでした。カラオケが好きだった飯田さんは、本気で歌を極めようと決意します。昔からコンプレックスだった低くハスキーな声は、ジャズには最適で、現在では良い声だと褒められることもしばしば。コンプレックスだったものが自分の賜物として生かされています。ペトロの手紙一4:10~11にあるように、神さまは必ず誰にでも賜物を与えてくださっているのです。
 ギャルとなって道を外したことも含め、全ては神さまの計画だったのだと飯田さんは語ります。賜物のハスキーボイスで、神さまへの感謝と喜びを「Moon River」「What a Wonderful World」にのせて歌ってくださいました。

0月28日(金)「まことの親の愛は無条件」晴佐久 昌英 神父(カトリック浅草教会・上野教会)≪マタイによる福音書5:43~48≫

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」
マタイによる福音書5:43~45

晴佐久神父は幼児洗礼を受けた後、どんなに悪い子でも神さまに愛されているという信仰を原点として、カトリック・プロテスタント、またキリスト教という枠を超えて活躍しています。高校生と話すことができて嬉しいと、喜んで力強いメッセージをしてくださいました。

先週誕生日を迎えた神父は、誕生日は親におめでとうという日だと語ります。私たちは自分で選んで生まれてきたのではありません。すべての生みの親である神さまが望んだことによって生まれてきたのです。だから誕生日とは、神さまの望みが実現した日であり、神さまが純粋に、見返りを求めず無条件で私たちを愛していることを祝うべき日なのです。

数年前、神父にある出来事が起こりました。その時、自分が神さまから純粋に与えられた無条件の愛を人に与えようと思い、その思いを実行し始めました。その出来事を通し、ただ純粋に愛によって行動するとき、自分自身が喜びに満たされるのだと、嬉しそうに語ります。神さまの愛は見返りを求めない純粋な愛であるゆえに、恩返しはできません。ただ、私たちはそれを次の世代に与えて行くのです。ご自身の経験に裏打ちされた、力強いお話しでした。

5日間、様々な方のお話・生きる姿勢を通して、聖書に書かれている主イエスが現在も生きており、私たち一人一人を愛していること、それぞれに語りかけてくださっていることを感じました。まだ主イエスに出会っていない人も、これからの生活の中で主イエスの語りかけに気付き、喜びに満たされて人生を歩んでいくことを願っています。

伝道週間のポスター(2年生作製)

聖歌隊による賛美 

礼拝の様子

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