TOP

「ハンセン病から学んだこと」 2年男子

教育/キリスト教教育/礼拝の紹介

「ハンセン病から学んだこと」

2年男子 2017年2月20日

ルカ6章37~38節

皆さんは、日常の中で人を見た目で判断することがどれくらいあるでしょうか。怖そうな人がいると少し距離をおいて歩いたり、電車の場合は違う車両から乗ったりということがたまにある人もいるのではないかと思います。その事自体は自分の防衛本能による危険回避という事もあるので仕方がない面もあると思いますが、今日はそういった見た目での決めつけが人間の大きな過ちを生んでしまったお話をしたいと思います。

「ハンセン病」という病気をご存じでしょうか。聖書の中で「思い皮膚病」とも表現されている病気です。聖書の中ではその病気にかかった人に触れてはならないとされていますが、これは聖書に限ったことではありませんでした。1931年、「らい予防法」という法律が日本で制定されました。らいというのはハンセン病のもとの名前です。その内容はハンセン病にかかった人を強制的に施設に隔離するというものでした。家族や友人と離ればなれになり、生活の自由をうばわれてしまったのです。なぜこのような差別が生まれてしまったのでしょうか。当時、ハンセン病はすぐ伝染する病気だと言われていましたが、実際はそのような事は全くありません。普段通りの生活を送っても問題のないレベルなのです。しかし、政府は患者を施設に追いやり、社会との関わりを断ちました。それは病に対する知識が足りなかったことと、患者の見た目が原因であると言われています。ハンセン病の症状として、皮膚がただれて顔や手足が変形するというものがあります。その見た目によって、患者は恐ろしい存在とされ、隔離されてしまったのです。

僕は当時患者の方々が隔離されていた施設の一つである、多磨全生園を訪問しました。その中にある国立ハンセン病資料館には、当時の施設内での壮絶な生活の記録が残されていました。それらを見て、また今も施設に住み、当時のことをよく知る語り部さんの話を聞いて、僕は人間が無知であったが故の決めつけがこの大きく、愚かな差別を生んでしまったということに何よりも驚きました。しかし、特効薬がなく、治療が困難だった当時、「とてもうつりやすい」と誤解され、隔離という措置を取ったのもやむを得なかったのかもしれないと思うと、もどかしさもあり、もどかしさもあり、また技術も発達しておらず研究が現在ほど進められなかったがためにできた誤解だと思うとなんとも言えない気持ちになりました。お恥ずかしい話、僕も人を見た目や勝手なイメージで判断してしまうことがしばしばある人間です。そのことを後ろめたく感じたりもしました。

先ほど読んでいただいた聖句には、「人を罪人だと決めつけることがいちばんの罪だ」というメッセージが込められていると思います。現在、もちろんハンセン病の患者・元患者に対する隔離や差別を生む法律は廃止されましたが、未だに見た目の差別は存在しています。当時から誤解なく、患者を罪人としなかったならば、お互いの存在を赦し合い、隔離の法律などできなかったのでしょう。もしそんな状態であれば、どれほどの人が日常を生きることを続けられたのでしょうか。ただ人間らしく生きられるということがどんなに幸せなことか、思い知らされます。聖書の中でイエス様は、誰からも避けられていた思い皮膚病の患者に自らふれて病気を治すことで救いました。病気が治ったことはもちろん、触れてもらえたという事実がその人にとってどれほど大きな希望になったことでしょう。イエス様はただ体に触れたのではなく、その人の心にも触れ、寄り添ってくださったのだと思います。

僕が言いたいことは、何も「苦手な人やものでも積極的に近づき、触れてみよう!」ということではありません。誰しもどうしても苦手なものや、第一印象で遠ざけてしまうことはあります。しかし、自分の中で勝手な決めつけをして、わざわざ嫌うことをしてはいけないと思います。自分から壁をつくり、必要以上に遠ざけ悪く言うというのは、人生においてかなり無駄な時間であると思います。もし壁をつくらなければ、周りがよく見え、更に距離を置いていた人やものの新たな一面が見えてくるかもしれません。その時に、イエス様のようにはなかなかうまくいかないとは思いますが、少しずつ距離を縮めて最後に手を伸ばすことができたら、それがその人や自分にとって何か新しい価値観や希望につながるかもしれません。そうなれば、日常より豊かになると思います。拙い話でしたが、そのことを皆さんの心の片隅にでも置いていただけたら嬉しいです。どうもありがとうございました。

error: Content is protected