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2017年度フィリピン訪問プログラムに参加した生徒のレポート

教育/平和・共生学習/フィリピン訪問プログラム

2017年度 フィリピン訪問プログラム 報告

はじめに

私たちは今回のプログラムで、たくさんのものを見て、たくさんの人の話を聞いて、多くのことを学んだ。自分たちが感じたことや学んだことを日本に持ち帰り、より多くの人に知ってもらいたいと想うのにどれだけ誠実に言葉を選んで伝えても、ありきたりのメッセージにしか聞こえないかもしれない。それでも私たちには出会った責任と関わり続ける義務がある。ホントウのことを知っているものとして少しでも多くの人にホントウのことを伝えられることができたらと思う。そしてこれが今後の私たちの活動の目標でもある。

無意識の差別

貧困という言葉を聞いて多くの人が思い浮かべるのは栄養失調、飢餓、感染病などという言葉で、イメージだと痩せ細った子どもたちのモノクロの写真ではないだろうか?
私も上に挙げたようなものを想像するうちの一人だった。フィリピンに行く前に何度もメンバーと事前学習を行い、貧困にも様々なケースがあるということを学んだつもりだった。しかし実際現地に行ってみると食生活は十分満たされていたし、ほとんどの子がケータイを持っていたりするのを見て、“案外普通の生活をしてるんだな”と思うと同時に、行く前はフィリピンの人たちは普通じゃない生活をしていると決めつけていた自分がいたことに気づいた。私たちは常に自分たちの生活を基準において普通とか普通じゃないとかを決めているのと同じように、貧困という言葉に対しても自分たちが抱くイメージをあてて勝手に作りあげている気がする。差別というのはこういう小さなところから無意識に始まっているのかもしれない。

国は違えど

ある島でちょうど私たちと同じくらいの男女四人に出会った。彼らはクラスメートなだけあって仲がいいなという印象を受けた。牛がいると「あっ、あれお前じゃん!」と言ってみたり、男子が木登りをはじめると「どっかの動物園からサルが迷い込んできたみたいね」などと冗談を言い合っていた。冗談を言い合う姿は日本の高校生となにも変わらなく、より彼らを身近に感じることができた。またしてもそこで自分が彼らに対してフィルターをかけていたことに気づいた。確かに私たちと彼らが持つバックグラウンドをはじめ様々なものが違うが、同じ高校生であることに違いはない。けれど、まだまだ無意識の差別をしてしまう自分がぬぐいきれないのも事実だ。

センターの役割

二日目から四日目にかけて私たちはセンターと呼ばれる支援活動の拠点に行き、現地の子どもたちと交流をするなかでセンターの役割を強く感じた出来事がある。それは四日目のダスマリニャスという、首都のマニラから南に30キロほど離れた地区にあるセンターで出会った子どもたちとの出会いだ。どの子どもたちも少しませていたがとても人懐こく、別れがたかった。彼・彼女らが私にお別れのハグをしてくれた時、日本の同じくらいの年齢の子どもたちに比べるとだいぶ細く、表面化されていない貧困を感じる瞬間だった。こういった目に見えにくいところでの貧困が及ぼす影響の対象には必ず子どもが入る。それは自分たちの生活に不満を持っていたとしても、その生活を変えられるほどの経済力や知識を十分に持っていないということが大きい。そこで社会的弱者である子どもたちを守っていくのがセンターの持つ大きな役割である。

カミーレの言葉

私たち高等部が支援しているスポンサードチャイルドの一人でこの春から大学生になるカミーレという子がいる。彼女と仲良くなれたのでたくさんの話を彼女から聞くことができた。引率の先生から、昔はカミーレが恥ずかしがり屋で引っ込み思案な子だったけれど、会うたびに明るくて積極的な子に変わっていったと聞いてたので、彼女に直接そのことについて尋ねてみた。「どうして変われたの?自分を変えることって難しくない?」と聞くと、彼女は少し照れながらも私をまっすぐにみて
「自分を変えることは思ってるほど難しくないのよ。なぜなら変わりたいと思うってことはその瞬間から以前の自分より変わっている証拠だから。それで誰か一人でもいいから自分の変化に気づいてくれたり、自分のことを肯定してくれたりする人がいたらその人に見てもらうために頑張ろうと思えるの。私の場合は、その一人が親友だったの。親友に褒めてもらえることがうれしくて頑張っていたら自分でも気づかないうちに変わっていたの。そのくらい自分を変えるって簡単なことだと思う。」
と答えてくれた。さらに続けて、
「それよりも難しいのは環境を変えること。これは私たちみたいな子どもじゃ話にならないし、大人だって限られた大人しかできないことだと思う。みんながみんなに平等にチャンスが与えられるにはどうしたらいいんだろうね。私にもあなたにも難しすぎる話だわ。」といった。カミーレのこれらの言葉は日本に帰ってきた今でも忘れられない言葉の一つである。カミーレは四畳ほどの家におばあちゃんと二人で今は暮らしている。テレビはあるが電気は通っていないので、部屋の中は暗いような家で、私たちから見ればかなりひどい環境にいるように思われるが、カミーレは私たちにこれが私の家なんだと堂々と紹介してくれた。カミーレの一つ一つの言葉や行動に自信があるように感じたのは、彼女の親友の存在や誰かから肯定されることで自分の中にも芽生える自己肯定の意識が関係していて、身近な人が与える影響力の大きさを改めて感じた。

教育の重要さ

フィリピンで出会った子どもたちに勉強は好きかと聞くとみんな必ず好きだと答えた。逆になんで勉強が嫌いなのかと聞かれるときもあった。フィリピンの子どもたちは学ぶということに対して、とても意欲的だった。彼らに勉強を好きな理由を聞くと、知らないことを知ることが楽しい、将来は大学に進みたいと思っているからなど、様々な理由が出たが、ある子は父親と母親になるためといった。その子は好きな人と幸せな家庭を築くことが自分の夢だから、そのためにはたくさんのことを知っていなければならないと自分の両親を見て思ったそうだ。たしかに、読み書き計算などの知識上の学習だけでなく、自分の体のことについて知る性教育の普及も貧困の地区が抱える大きな課題である。これはティーンのカップルが親や周りの了承を得ずに結婚し、いつの間にか妊娠しているというケースが非常に多いという現実がある。私たちが訪問したある家では16歳と19歳の夫婦がいて本当に驚いた。日本よりも男女の距離が近かったり、結婚ということに対して堅苦しい手続きがいらないというのが一つの大きな理由なのかもしれない。しかし医学的な面からみても、未熟な身体で出産を迎えたりすることは母子ともに命のリスクを負うことになりかねない上に、子どもの育て方を知らない私たちのような世代が子育てをすると、子どもがいうことを聞かないことに対してストレスを感じたり、答えの見えない毎日に対しての不安から家庭内暴力が起こるケースもある。こういった視点からも性教育などの普及を高め、人生設計や家族計画などをもう一度子どもたちに考えてもらう機会を設ける必要がある。

誰かの生活を変えることへの責任

今回訪問した島々は、数年前から世界から新たなリゾートして注目され始めている。それにともない、ギマラス島とイロイロ島をつなぐ新たな橋が架けられることになっている。私たちはこの橋の問題について何度も議論をした。ギマラス島は緑にあふれるとても自然豊かな島で住民同士の絆も深く、まるで一つの家族のようだった。一緒に行った初等部の先生は、昭和の頃の日本を見ているみたいだとつぶやいていた。経済的な意味ではない、本当の豊かさを持ったこの島に開発の手が入ることで、その豊かさが失われてしまうのではないかと私たちは危惧しているのだ。おそらくギマラス島にはこれからたくさんの海外資本が参入し、ホテルが建てられ、リゾート化が進むだろう。ホテルが建設されれば旅行客も来るし、その人たちがたくさんお金を落としていってくれるからいいのではないかと考える人も多いだろう。しかしリゾート地で儲かった分というのは、当然そこを所有している日本や中国などの企業の利益になるため、住民がリゾート地の恩恵を受けることはないのだ。それなら、リゾート地で住民も働けばいいのではないかという意見もあるだろう。残念なことに、この建てられたホテルの従業員のほとんどはその海外の企業からつれてこられるため、わざわざ現地の人を募集しなくてもすむのだ。さらに、旅行客がくるということは治安の悪化にもつながり兼ねない。たいていリゾート地には旅行客向けのクラブなどが併設施設として作られるため、今までクラブの存在を知らなかったギマラスの人々(特に私たち世代の若者)もそれを知ることになる。今まで自然と共存し、自給自足同然の生活をしながらも、不自由を感じなかった生活がそういったものをみることによって、一気に退屈な日々に感じたりするだろう。また、未成年の酒やたばこなどを助長する可能性もある。一見よいことのように見えるリゾート化計画は、ほんの一部の人々にしか利益をもたらない割に、ギマラスの人々の暮らしを大きく変えてしまうだろう。誰か一人の生活を変えるということは、たいへんな責任がある。その変える対象が島全体というのなら、もっと大きな責任がある。私たちはもっと開発という行為に対して責任を感じるべきなのではないか?

本当の幸せとは?

「あなたにとっての幸せとは何ですか?」
私はこの質問を出会った数人の大人に尋ねた。すると「いつも幸せだから、そんなもの特にないわ。あなたは?いつも幸せじゃないの?」と逆に質問されて私は言葉に詰まってしまった。幸せとはもっとシンプルなものなのかもしれない。幸せの基準とは何を持っているかではなく、自分自身がなにを幸せだと思うのかということだと改めて気づかされた。幸せの定義なんて人それぞれだが、富を得れば得るほど幸せに求めるものが高次元になり、私たちは幸せということに対して鈍感になってしまっている。周りの小さなものを見落としがちな自分が少し恥ずかしく思えた。

子どもたちを支える“夢”の存在

フィリピンの子どもたちの多くが自分の将来に対して夢を持っている。それらは医者、先生、モデルやデザイナーなど様々だ。一見これは当たり前のように聞こえることだが、実はすごいことだと思う。フィリピンに行く前に、私の周りの友達15人に将来の夢を聞かせてほしいと頼んだら、答えられたのはたったの4人だった。おそらく答えられなかった11人の中には、実現できるかできないかの夢を人に教えるのは恥ずかしいと思い、答えなかった人もいるだろう。だが、夢をかなえられるかどうかなんて誰だって分からないのだ。にも関わらず、恥ずかしがりもしないで自分の夢を即答してくるフィリピンの子どもたちの心には、野望にも似た意志があると感じた。ある一人の子は“dream enables me to have passions”と答えた。
Passionとは情熱という意味が日本ではスタンダートだが、怒り、憎しみ、情熱などの感情を意味する激情という意味もある。あの子が言っていたのは、激情の意味もあるだろう。彼らのなかには電気が通っていなかったり、下水道がちゃんと配備されていなかったりする家に住んでいる子も少なくない。私たちから見たら壮絶なバックグラウンドを持った子どもたちだからこそ夢にひたむきであり、彼らにとって夢は単なる目標ではなく、自分の力ではどうしようもできない現実から抜け出すための原動力なのだろう。彼らの夢をできるだけ多くの子どもがかなえてあげられるようにするためにも、高等部として支援チャイルドを増やしたいというのは私たち全員の意見だ。

誰のためのなんの支援か

日本はODA(政府開発援助)では途上国に対し、経済面では加盟国中第四位につけるほどの支援をしているが、実際現地の人にいって聞いてみると、彼らが必要としているのは経済面での支援ではなく、技術面での支援だということが分かった。例えば、ギマラス島にはコンクリートではなく木などの簡易な作りの家が多く、台風の季節である9月にはほとんどの家の屋根が飛ばされる、家が壊れるなどの被害を受ける。昔からこのような被害を受けてきたにも関わらず、なぜ人々の家が変わることはないのか。それは誰も建設に関する知識をもっていないからだ。日本やアメリカ、中国などの世界でも屈指の建設知識をもった国からの技術面での支援により、この問題は解決できると私は考える。ただ運転資金を与えるのではなく、運転を開始させるためにはなにが必要か。現地の人にはなにが足りないのかを十分に知った上での支援をするべきである。押しつける支援ではなく、寄り添った支援を行なうためにも支援のあり方をもう一度考えてみるべきだ。

共に歩むものであり続けること

冒頭でも書いたように、私たちは高等部が支援しているチャイルドに実際に会ったり、貧困というものの実態を自分たちでそこに行くことで学んできた。実際に行くことは、いい意味での裏切りがたくさんあった。自分たちが思っていたほど現地の人々は不幸ではないし、むしろ自分たちの心の貧しさを痛感するほどだった。ただ、これをいい思い出だったと一時のことにして、また元の生活に戻っていくのはあまりに薄情で無責任である。私たちのこのプログラムはチャイルドファンドジャパン、高等部をはじめ、たくさんの人々のサポートを受けてこそ行なわれたプログラムである。そのサポートに対して答えること、フィリピンの子どもたちと出会った責任など、私たちにはこれからもこの“貧困”という問題に対して関わり続ける義務がある。そしてまた高等部生もクリスマス献金を通して彼らを支援しているので、彼らについて知る権利がある。だから、その権利を最大限に使っていつでもなんでも聞いてほしいと思う。
そして頑張れ!という○○してあげるという立場からではなく、頑張ろう!というような一緒に○○するという立場にたって、同じ世代として私は彼らと共に歩み続ける者でありたい。

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