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特別礼拝「賛美と証し」

教育/キリスト教教育/礼拝の紹介

「賛美と証し」

椎名 雄一郎先生(オルガニスト)2017年5月9日

サムエル記上 3章1節~9節

高等部41期卒業の椎名雄一郎です。現在は長崎の活水学院で教員、オルガニストとして勤めています。私は高等部時代に神様に出会いました。

皆さんは神様を信じますか。科学的に神様の存在を証明することはできませんが、いないことを証明することもできません。そして科学者は研究すればするほど神様が存在することを確信するそうです。つまり科学の限界を感じるのです。

私は留学時代、ドイツ・ライプツィヒの国際コンクールを受けに行きました。コンクールは2つの予選と本選からなりますが、第2次予選終了後、一人の老婦人が私の元にきて、白い蝋燭をくださいました。これは「私たちがとても大事にしているものです」とおっしゃっていましたが、私には何のことかわかりませんでした。想像してください。見ず知らずの方から、何の模様もない白く太い蝋燭を1本いただいたのです。この蝋燭は、1989年旧東ドイツの国が崩壊するきっかけとなった「平和の祈り」の象徴でした。

ライプツィヒ・ニコライ教会で現在もおこなわれている「平和の祈り」は、故フューラー牧師のもとで始まった祈りの会でした。そこに環境問題、軍縮問題など様々な考えを持つ人々が集まり、「祈りの会」は月曜デモへと発展していきました。このデモは皆が蝋燭を持って参加しました。蝋燭に火をつけると、蝋燭を持つ手と、火が消えないようにするために両手を使います。つまり非暴力の象徴でした。東ドイツ政府は秘密警察、軍隊、戦車など考えられるすべての軍備を総動員しましたが、最終的に衝突もほとんど起こらず、市民側の勝利でおわりました。圧倒的な戦力に対して蝋燭が勝利したことは、科学的に説明できるでしょうか。世界の様々な出来事は科学的、論理的に説明できないことが多々あります。そこに神様の存在を感じます。私たちはいつ生まれいつ死ぬのか、また誰と恋愛するのか、だれもコントロールできません。私たちが今日ここにいることも科学的に説明できないはずです。今日お休みの生徒もいると思いますので、今日と全く同じメンバーで礼拝を守ることは2度とないはずです。今日ここに集められたことを感謝して、私たちは神様に賛美歌を歌いたいと思います。私たちを高等部に招いてくださってありがとう、そして今日あなたのみ言葉に触れられたことに感謝します、と招いてくださった神様に対して賛美歌をとおして応えたいと思います。

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