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05Nov
2015生徒の活動

青山学院高等部が目指す「グローバルな教育」とは (生徒と本校OGとの対談)

Topics青山学院高等部が目指す「グローバルな教育」とは (生徒と本校OGとの対談)

本校は、文部科学省より「平成27(2015)年度 スーパーグローバルハイスクール(SGH)」の指定を受け、「多様性の受容を基盤としたサーバントマインドを持つグローバルリーダーの育成」をテーマに、カナダでのホームステイプログラムや、イタリア・イギリスの高校との短期交換プログラム等をはじめとして、様々な取り組みを行っています。

今回はその取り組みの一つとして、本校の卒業生で、海外在住経験を持ち、現在はフリーアナウンサーとして活躍する木佐彩子氏を迎えて、【青山学院高等部が目指す「グローバルな教育」とは】をテーマに高等部の生徒3名と対談を行いました。参加した生徒はそれぞれ異なった年齢・形式で在外体験があり、その体験をもとにして自分の将来のビジョンやグローバルキャリアについてのイメージを模索している最中です。この対談で、違った立場で考えや思いを発信し合うことにより、青山らしい大きなグローバル化に対する考えを共有できるようになるプロセスとなることを意図した試みでした。

以下、対談の様子をご紹介します。

木佐彩子氏

木佐 今どのような活動をしているのかを教えてください。

 

鈴木捺梨沙

鈴木 私は生徒会の渉外局長をしていて、学生団体のイベントに参加したり、他校の生徒会のメンバーと討論会を行ったりしています。

松本 僕は、これから文化祭があるので、何を作ろうかとか、どうしたらお客さんがたくさん来るかなとか・・・皆のために何かしている時に、この学校に来て良かったなと思ったりします。

細野 私は、来週からのカナダホームステイに向けて、日本の文化をカナダの人たちに伝えられるようにしたいです。折り紙を使って「こういう遊びもあるんだよ」と教えてあげるとか。

他国の文化を知ること、自国の文化を伝えること

藤井 カナダのプログラムには、30人の生徒が参加します。今年は宿題を出していて、皆それぞれ違うバックグラウンドのファミリーのところにホームステイしますが、その方がどういう経緯でカナダに住むようになったのか、いまだに持っている習慣はあるかなどを聞き出してきて、それを最後に皆で出し合い、カナダってどんな国なんだろうということがわかるタペストリーみたいなものをつくってみたいと思っています。これもスーパーグローバルハイスクール(SGH)関連なのですが、多文化が共存している様子は日本にはないカナダのすごく良いところなので、このような課題設定をしてみました。

木佐 この多感な時期にそういう環境に行けるのは幸せですね。私も父の転勤で、小学校と中学校がアメリカでした。その時、仲良かった友人たちに日本のことを正しく伝えたい、という思いが芽生えて、今思うと、今のお仕事もそういうのがパワーになっていたりするんですね。

藤井 松本君も帰国生なので、どうでしたか。

松本 モロッコにいた時、自分がその学校で初めての日本人で、皆日本のことを全然知らなかったのですが、英語ができなかったのでうまく伝えることができなくてもどかしかったです。

藤井 彼はこの学校でいろいろなプログラムをやると必ず来てくれて、すごく熱心にレクチャーやスピーチに参加してくれます。いつも何かもっと自分がやるべきことがあるのではないかと、すごく貪欲なまなざしを持っているんです。

木佐 その源は何ですか。

松本 やっぱり日本を知ってもらえなかったことなのではないかと思います。将来何をやるかということは決まっていないのですが、何かここで見つけられたらいいなと。

弱い国や人に寄り添って生きる

木佐 今の時点での、皆さんの将来の夢を聞かせてもらえますか。

松本 今、BLUE PECOという団体でフェアトレード関係の活動をしていて、文化祭でフェアトレードのコーヒー豆を売ったりしているので、将来、弱い国から商品や作物を買いたたいているような会社には絶対入らない、と。

鈴木 私は小学校からずっと良い先生に恵まれ続けて、学校の先生になるのが夢です。高校2年生の夏にフィリピンに2週間ボランティアに行って、学校で教育を受けられない子どもたちにたくさん接しました。小学校の校長先生と対談する機会を持った時に、その学校には社会科の先生がいないため子どもが社会科を教われない、と聞いてすごくショックを受けました。生まれた環境によっては、私たちが当たり前だと思っていることが欠けてしまっていると知って、将来そういうところで働く先生になりたいなと思います。

木佐 具体的にどういう先生が良い先生だと思いますか。

細野奈美

鈴木 先生という立場で生徒を見ていない、「人間と人間」という関係で向き合ってくれる先生です。青学でもそういう先生ばかりに恵まれて、「こういう人間になりたい」というモデルの先生がすごく多くて、その中で自分は将来、競争社会というよりも、一人の先生としてたくさんの生徒に知識を与え、人生の道を教えられるようになりたいと思いました。

細野 私は小さい頃にパキスタンに住んでいたことがあって、その時に日本とは比にならないくらい貧しい人が多くいました。高等部に入って、国連難民高等弁務官の方のお話とか、パキスタン人のケアファンデーションの方のお話などを聞いて、世界には幼いころに命を落としてしまう子がいるんだなと悲しく思ったので、国連とかユニセフなどの機関で働きたいと思いました。

「新しい世界」を知るための一歩

木佐 海外経験が長い皆さんは、今の日本の子どもたちや同年代をどういうふうに思っていますか。

鈴木 海外の出来事や日本の出来事もそうなのですが、興味を持っている人と持っていない人に二分してしまっていると思います。私は渉外局などの活動を通して海外の事情に興味を持ちました。友だちからのアドバイスやチャンスがないと、一歩踏み出して自分から知らない世界を知ることは難しいと思いますが、今、18歳選挙権に向けて10代の人が政治にかかわる機会や学生団体の活動も盛んになってきているし、そういう人たちがもっと増えていったら良くなるのかなとは思います。

木佐 良い流れですよね。私の頃はそういうのは特殊な人がやっているというイメージがあったけれど、皆がそういうふうに思ってくれるのは嬉しいです。松本君は。

松本貫佑

松本 何も考えていないでただ日々を過ごしているだけの人が多いと思うので、今のうちにもっと考えた方が良いのではないかなと思ったことはあります。

木佐 それは、皆それなりに幸せというか、生活がある程度満たされているということがあるのでしょうか。

藤井 忙しいというのもあるんですよね。皆、一日がすごくタイトで、どこかの部分に違うものを挟むというのがすごく難しい時代になってしまったというのもあるかもしれない。

木佐 でも、きっかけですよね。

藤井 そう。つかまえられれば、それに向かって時間を割くんだけれども、機会がないとぎゅうぎゅう詰めの一日がそのまま過ぎてしまう。大人も「空きの時間」を埋めてしまう、「そこ無駄でしょう」と子どもに言ってしまうところがある。本当はそういう時間に何か新しい芽が芽生えるはずなんだけれども、摘んでしまっているのは親のせいだというところもありますよね。

校内有志団体 BLUE PECO

藤井 その点、松本君はいろいろ時間を使っては探してくれている。来年このグループ(BLUE PECO)を連れて東ティモールのコーヒーの生産現場に行ってみようかなと。この夏、同僚の先生と二人で下見に行って、安全を確認してから生徒たちを連れて出かけてみようかと。学校がSGHの課題を背負っている中で、社会の様々な問題に意識を持っている生徒がいて、チャレンジしてくれるので、僕はできるだけ出してあげたいなという気がする。すごく面白いと思いますよ。

松本 まだ少人数しかBLUE PECOの活動を知っている人がいないので、これから学校全体に「こういう活動をしているんだよ」というのを伝えていくのが課題だと思います。今年は青学全体でフェアトレードとかやっていきたいなと。

藤井 もう10年以上になる団体なんです。大人のサポートが要るところでは助けてやりたいけれど、基本的には生徒たちが全部考えて、自分たちで社会の問題を見つけながら取り組んでいくというところを大事にしたい、と思っています。

木佐 素晴らしいですね。でも本来社会に出たらそうですものね。今の日本は恵まれすぎていて、子どもを育てている時にわざと大人が壁を作ったりしないといけない時代になっている。そういう中で、自分で考えさせるという先生がいてくれるのは心強いですね。

礼拝を通して広がる「共感」

藤井 生徒が礼拝でのお話で発信してくれることもあります。フィリピンに春に行った生徒が、子どもへの暴力を阻止するべきだという話を礼拝でしてくれて、ユニセフのハンドスタンプの活動(賛同する人が、緑の絵の具を手に塗って紙に押していく)を昼休みにやるから来てくださいと言ったら、400人くらい来てくれて。礼拝で言ったことに皆が共感する割合がものすごく大きいんです。キリスト教のメッセージに乗せながらそういうことを言ってくれて、皆に響いて、皆がすぐ活動してくれる。「聞いてたよ」ということを証明してくれるんです。

木佐 私の仕事も、自分の思いを乗せてしゃべる時と、人が書いた原稿を伝える時があるけれど、自分の思いが乗ったスピーチは本当に人の心に響くし、たぶんそういうことで人生が変わって「あの時のあの礼拝でこんなになりました」という人がいるのではないかと。

藤井 いると思いますよ。代々いたと思います。そういう響く大きな敷き物を敷いてあげて、その上にこの子たちの活動が乗っかって、皆が理解しあえるような空間が、実はSGHというコンセプトの中心にあるんですよね。

木佐 素晴らしいですね。

藤井 それは青山が作ってきた空気だと思います。その中で「青山のグローバルってこういう方向でしょう」という、皆が見てわかりやすい方向性というのがあるので、そういうところに向けて活動を組んでいくのが大事だなと思って、いろいろ企画しています。

「人とつながる」ことから「共に生きる社会」へ

鈴木 木佐さんは青山学院を卒業されて、青山学院で学んだからからこそとか、こういうところがすごく良いと思われるところはありますか。

木佐 キリスト教の教えというのが根本にあって、チームワークとか、協力し合うとか。みんな今でも心がすごく綺麗だし、もちろんハングリーでないといけないとは思うけれども、人を蹴落としてまでトップというよりも、皆で頑張って上にあがろうという教育だったので。テレビ局もチームワークなんですね。それは青学で身に着けたというのがあります。

松本 高等部の時に何か委員会などをやっていらしたんですか。

木佐 チアリーディング部の副キャプテンでした。キャプテンがしっかりした子で、私はムードメーカー的な存在で。皆で作り上げていく過程が楽しくて、それってたぶん会社も同じで、引っ張っていくタイプだったり、部署を拡大していくタイプだったり。

藤井 青山学院の出身者としては「どっちの方向に向けて会社を動かすか」、就職する時に「どういう会社なら行ってもいいか」という中に、さっき松本君が言った収奪をしていないとか、ある国に迷惑をかけないとか、そういう基準がすごく大事なので、トップに立とうが立つまいが、そこは高校で身につけなければいけない知識だと思います。

木佐 今、企業のトップの人を毎月インタビューしているのですが、いろいろな社長像があって、ワンマンタイプもいれば、「この社長のためなら」と皆が頑張ってくれるというタイプの社長もいて・・・。青学はどちらかというと後者の方がたくさん生まれる環境なのではないかと思っています。所詮人間と人間ですし、人間力というか、この人と一緒に仕事したい、この人のために頑張りたいと思ってもらえるのはすごく幸せですよね。

藤井徹也教諭

藤井 この学校は「共生」、「平和」を教育のテーマに掲げています。グローバル教育も共生教育の一つでなければいけません。「共生」への理解というのは、結果的についてくるものだという意識の方が、皆の話を聞いていて大切かなというふうに思いました。生徒たちがやっていることは「人とつながる」とか、「どういうふうに仲間にわかってもらうか」と考えて努力すること。その中で理解しあえた時に、大きな意味で「共生」を感じ取ることができるのかなと。それはこの学校の生徒たちが得意とするところなのだけれど、そういう行いを通して「みんなで住む社会」というイメージが具体化してくる。それが青山の国際教育なのかなということを、今話を聞いていて思いました。

木佐 そうですね。それが一番本物というか、本来の形。

藤井 自分たちのつながる個人の範囲というのはそんなに広いものではない。その中で生徒たちが動いて、皆が自分なりのつながり方をしていっているということが大事なのかなというふうに考えています。

木佐彩子氏
小学2年から中学2年までの7年間、アメリカのロサンゼルスで過ごし、帰国生入試を経て、青山学院高等部に38期生として入学。在学中はチアリーディング部に所属、副キャプテンを務め、チーム名「TITANS」の名付け親でもある。青山学院大学文学部英米文学科卒業。1994年から2003年1月までフジテレビアナウンサー。現在はフリーのアナウンサーとして活躍中。
藤井徹也
高等部英語科教諭
国際交流委員、SGH責任者
鈴木捺梨沙
高等部64期生、3年生に在学中
中学受験を経て青山学院中等部に入学し女子ハンドボール部に所属。高等部ではボランティア部に所属しつつ、2015年度生徒会渉外局長を務め、また2015文化祭では、副実行委員を務めた。高校2年生の夏休みにボランティア部でフィリピンを訪れた経験から教育のあり方や将来の夢を考えるようになる。座右の銘は「夢はでっかく、根は深く。」
松本貫佑
高等部65期生、2年生に在学中
小学校4年生から6年生まではフランスで生活をし、日本人学校に通っていた。中学校1年生の時、周りには日本人が一人も住んでいないモロッコで過ごし、インター校に通学した。ここでは、日々、文化の違いに驚かされる毎日であった。中学2年生からは帰国し、公立中学校に入学。高等部では、BLUE PECOの活動に興味を持ち、副代表を務めている。
細野奈美
高等部66期生、1年生に在学中
アラブ首長国連邦のドバイで生まれ、1歳の時に帰国。4歳から7歳までの4年間をパキスタンのカラチで過ごす。中学受験で青山学院中等部に入学。高等部に進学してからは国際交流に興味を持ち、国際交流委員会主催のイベントに積極的に参加をしている。
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